☆☆ 地 球 一 周 四 万 キ ロ ☆☆
断っておきますが、私が実際に走って地球一周したのではありません。出来るわけないですよね。 87年から練習・大会で走った距離を記録しており、そのトータル距離が丁度2004年11月11日で地球一周四万キロに達したということです。
地球一周の距離を自分の足で走ることは地球の地形等を考えると現実には厳しいのでしょうが、とにかく私としてはすばらしいと思ってます。
以降に私のこれまでのアスリート記録を記述しました読んでください。
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アスリートになったきっかけ
市民駅伝 (左)松澤さん
私は学生のとき陸上をしていたわけではなく、小中学校の徒競走(100m,200m)ではいつもピリでした。それも間が空いてです。社会人になって普通の人々と同じようにベルトの穴が足らなくなってきたので運動しなければと走り始めたのです。
それ以前には、多摩川(ガス橋)マラソン・多摩湖一週マラソンに参加しましたが、
本格的に始めたのは86年からで、最初のレースは会社の仲間と出た皇居マラソンのレースでした。そのときは確か10kmを58分で走ったと思います。その年は計6回参加して、次年度からは10回以上も参加しました。主に5・10kmのレースです。
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初めてのフルマラソン
1989.2.11 勝田マラソン 2回目のフルマラソン
初めてのフルマラソンは88年の勝田マラソンです。それまでは10kmの種目に出ていたのですが、87年の勝田マラソンの10Kmに参加したときに仲間がフルに出たのです。そのときに一緒に10kmに参加した仲間が来年はフルに参加すると言い出し、私に一緒に出ようよと勧めるのです。
私はとても無理と断っていたのですが、意思の弱い私は夏頃にはなんとなく出るかと
なっていました。それからフルに向けての30k走の練習と20kmのレースに4回参加して
勝田マラソンのフルに挑みました。
フルマラソンは未知への挑戦です。前年に参加した仲間は6時間以上かかって帰ってきました。でも、彼は沿道の応援の皆さんからたくさんの応援と食料(ケーキ)など貰って楽しかったといっていたので、私もそのつもりでと、でも密かに目標は4時間に設定してました。20kmのレース結果から悪くても4時間半かなと、とにかく初フルは不安一杯でした。この大会は2月に開催されるので雪が
降る場合もあり、当日は防寒対策もバッチリしたのですが、途中から天候が良くなり上着がじゃまになり困りました。コースは結構起伏があり20km手前では足に豆が出き、20kmのADでは座り込んで休憩でした。それからまた走り出したのですが今度は足がつってきてストレッチをして、トボトボとですがまた走り何とか30kmです。
この先まだまだですが、なんとかラスト5kmのたどり着いたら元気が沸いてきて後は快調に走りゴールできたのですが、やはり最初のフルのゴールは感動でしたね、チョットうるうるでした・・。
タイムも予想より良く3時間36分でした。次年度からは毎年欠かさずにフルに出るように
なったのですが90年の勝田マラソンは吹雪の中で途中から冷たい雨となり最悪の状態でゴールしました。それ以来勝田マラソンには参加していません。
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トライアスロンに挑戦
会社の後輩でトライアスロンをやっている社員がいて、その社員は皆生に毎年参加していたのです。
その話を聞くうちに私もやってみたいと思ったのですが、当時私はスイムが25m位しか満足に泳げませんでした。彼はもっと短い大会もあると昭和記念の大会を教えてもらい、ウエットもいらないのでそれではとスイムの特訓です。自転車は何とかなるので、彼に購入先を紹介してもらって購入しました。会社の何とか750mが泳げるようになったので90年の昭和記念に申し込み(当然JTUの会員になって)ました。が、この当時はトライアスロンが全盛期で申し込んでも抽選で選ばれるので未経験には当然当りません。翌年もダメでした。他の大会もダメ、そこでどこかに無条件に参加できる大会がないかと物色したら、日産カップのショートが参加出来そうでしたので、スイムが海でも申し込み、ウエット着用義務でしたので急遽購入して参加しました。
初参加のレースがこの92年の日産カップのショート大会です。初めてのあの海、怖かったです。
下が見えないのです。ウェットを着ていて浮力はあるのですが足がつかない恐怖はいまでも少しあります。フローティングスタートでしたのでスタートするまで浮き輪(車のチューブ)につかまって、みんながスタートしてからゆっくりと泳ぎ始め、恐怖と波のうねりを乗り切り泳ぎきったのですが、後ろには数人しか泳いでいませんでした。でもバイクで抜き・ランで抜く気持ち良さはこのとき初めて味合わせていただきました。
この記録を種にしてその年の昭和記念(当時は9月開催)に申し込み参加することが出来ました。
この大会は、プール(足が付くので少し歩いた!)でしたしので快調でした。
その後、渡良瀬の51.5kmにも初挑戦したのですが、下見に現地までバイクで行ったのですが
こんなところ(魚が浮いていた)で泳ぐのかと驚きましたが、当日参加していた他の選手はもっとすごい(汚い)ところでやっている大会もあると聞きそうかなとなっとくしました?。ほんとクロレラ一杯の貯水池ですね。当分都連の関係(ボランティアのため)でこの大会に出れそうにもないです。残念??。
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デュアスロン
私が最初に参加した92年の修善寺の大会は、当時はバイアスロンといってました。
翌年からの大会はデュアスロンと呼ぶようになりました。94年から参加したランナーズの
ジャパンスーパデュアスロン大会は賞金レースでシリーズ大会1位になるとBMWの車が貰えました。年5レースあり私も3回(昭和記念・渡良瀬・東村)も参加してポイント(5位までに入るとポイントが貰えました)を稼いだときも有りますが、デュアスロンで3位に入ったのは1度しか有りません。この種目は苦手なスイムが無いので私は好きです。デュアスロンはロードの選手が多く参加しますのでレベルの高い大会ですが、スイムが無いので私には十分楽しめる大会です。昨年から始まったカーフマンにも参加したいのですが都合が付きません。残念・・。
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海外マラソン
1998.6月 ゴールドコーストマラソン
50歳の記念に海外のフルマラソンに出ました。友人に相談しましたらゴールドコーストが良いと聞いたので1998年7月に行ってきました。やはり良かったです。2000年にもホノルルに参加したのですが、ゴールドコーストは日本人の参加者が少なく海外のレースという気分を満たしてくれました。
コースはスタートからブリスベンに向かい、折り返してからスタート地点を越えゴールドコーストの海岸沿いを南に走り、再度折り返してスタート地点でゴールの平坦路で、時差も1時間なので私もお勧めですね。日本語は通じない(お土産やは通じた)し、英語は出来ないので大変でしたが、楽しかったです。観光も入れていたのでツアーの仲間と終わった後にオプションでケアンズによってコアラなどのいる動物園・ジャングル観光などをして楽しんできました。
2000年のホノルルにも参加しました。この年の大会は記念大会でしたのでスタートの合図を、当時メジャーの佐々木がやりました。クリスマスの時期でイルミネーション一杯でスタートが朝の薄暗い5時でしたので特に綺麗でしたよ。ダイヤモンドヘッドの朝日もすばらしいのですが日が昇り明るくなると日本人が多いのが目に付き、ちょっといまいちでしたね。
でも、制限がなくフルを十分に楽しむには良い大会です。
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ヒルクライム
2002.6月 栂池ヒルクライム
ヒルクライムの挑戦はバイクを購入した後にトライアスロンの練習として栂池のヒルクライムに最初に出場しました。このコースは91年から3年連続で参加し、その後乗鞍のヒルクライムに場所を替えて挑戦してました。ヒルクライムはスタート地点(特に栂池は急斜面からのスタートでした)から最後まで登りです。当然ですよねヒルクライムですから、最初から最後(ゴール)まで苦しいレースです。平坦なところは有りません、乗鞍はスタート地点は少し平坦ですが標高1400mからゴールが
2800mの22Kのコースで行われトップは1時間チョットで登りますが、私のベストは1時間32分でした。定峰峠の上りと比べるとやはりというか相当厳しいです。でも途中や(余裕があるのです)ゴールの見晴らしは晴れていれば最高です。この大会は、人気が高く募集開始後直ぐに定員オーバーになってしまいます。乗鞍には9回参加しました。
私はマラソンでも起伏のある火祭り・巨峰・八ケ岳ロードレースなど苦しいレースによく参加してます。一昨年までは連続して出てました。私は何でこのような苦しいレースが好きなんでしょうかね。
でも、ウルトラマラソンは参加していません。これは無理と思ってます。
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リタイヤ
トライアスロンを土日連日参加していたことがあります。
土曜日に昭和記念公園のショートに出て、翌日は日産カップ(51.5Km)にです。
最初の95年のときは苦も無く完走できたのですが翌年のときには、さすが日産カップのスイム300m位で胸が苦しくなってきてレスキューのボートにつかまり一息入れているとレスキューの方が続けますかと問われたので、意地でハイと泳ぎだしたのはいいのですが、とても1.5Kmが泳ぎきれないと思いはじめて手を挙げてしまい、レスキューに助けあげられボートで陸に上がり初めてのリタイアです。
このときも妻が応援に来ており、誰か早々とリタイアしてボートで上がってきたと思って見たら、それが旦那だったので驚いてました。
やはり連日のトライアスロンは、厳しいかったですね。この後は連日はやっていません。
2度目のリタイヤは渡良瀬のデュアスロンです。その当時は肉離れをしていて大会には
申し込んでいたので当日まで練習は行わず前日にチョット走って大丈夫そうだったので
参加したのですが第一ラン・バイクまでは何とか走れたのですが第2ランはやはり無理でリタイヤでした。やはり無理は禁物です。その後1ヶ月は休養して完治させました。
この頃は年間25レース(ラン16、バイク1、トライアスロン5、デュアスロン3)も参加してました。今はこんなに参加できません。でも毎日が日曜日なら参加したいと思ってます。
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失敗
失敗は色々有るのですが、1998年前後の頃はマラソンに年間16回前後参加していました。この頃は大会開催日が、何月の何週目はこの大会と決まっていました(今でもそうですが)ので、いつものように申し込み参加票を持って現地に近づくとなんか変だなと、いつも集まってくる選手の車が来ていないのです。慌てて参加票を見ると期日が先週になっているのです。がっかりして家族に馬鹿にされ返って来たことがあります。これは一度ではないのです。開催日の1週間前に行ったことも有ります。
どうしようもない失敗ですね。最近は有りませんが。また、靴も忘れて車に積んであったぼろ靴で走ったことも有りました。トライアスロンではバイクの前輪を忘れて現地に着きびっくり!!慌てました。このときは昭和記念公園でしたので息子に電話して、電車で持って越させてどうにか参加できました。最近はチェック表を作ってチェックしてから出発してます。年と共に忘れ物が多くなるので・・・。
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佐渡大会(ミドル・ロングに挑戦)
佐渡の大会はBタイプ(当時スイム3K・バイク109K・ラン25K)1回、Aタイプは今年も含め3回参加しました。
最初の大会は99年のBタイプ参加で佐渡も初めてでしたので観光も兼ね金曜に入って火曜に帰るのんびり旅行気分でいきましたが、ミドルは初挑戦で特に不得意なスイムが3kmでしたので何とか泳ぎきれるように相当練習しました。
佐渡に着いてコース下見に参加して思ったのですが、意外と大きい島だと思いました。
島は平坦だと思っていたらバイク・ランコースとも起伏があり驚きでした。
これで完走できるかと心配でした。仲間は無しの私1人でしたので心細かったです
(仲間がいると違いますねいろんな情報が仕入れられるので)。
でも日産カップの海に比べるといくらか見えるのでスイムはいいかなと思ったのですが
バトルに巻き込まれメガネが外されそうになりながら何とか泳ぎきり、バイクはヒルクライムもこなしてきたのでガンガン飛ばし予定通りにランに入ったのですが8Kくらいで
足が攣り、帰りの下りでも太ももの横が攣ったように痛くなってきました。多分バイクの
負担がここに出たのでしょう、立ち止まりしばらくストレッチと休憩して何とかゴールしました。
初めてのミドルは、ほんときつかったです。ゴールして直ぐ宿に帰ってしまい、そのときはAタイプのゴールシーンなど全然興味なかったです。翌日は観光であちこちを見て周りAタイプのバイクコースも見てきました。さすが長いなーと当時は思ってました。
Aタイプの挑戦は思ってもいなかった皆さんと02年に挑戦することになり、ご存知の通り台風後のフェーン現象の影響で38度の中のレースでランは1/3は歩いてしまいましたが、皆さんと一緒にゴール出来たことは大変嬉しかったです。帰った後の温泉も気持ち良く、帰りのフェリーでの傍士さんのマッサージで最高にリラックスできました。ありがとうございました傍士さん。次の年は前年の経験が生きて13時間を切れました。今年はさらに、これらの経験を積んだ結果3位に入ることとなりました。皆さんのおかげです。来年も皆さん出ましょう。
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4万Kmを越えて
後3年で還暦になってしまいます。なんて恐ろしい・怖いと思うとともにさびしいですね。でも体力はまだまだと思ってます。
皆さんと一緒に練習して多くの大会に参加して楽しみます。この趣味を許してくれる奥さんに感謝してます。もう一度海外の出来ればトライアスロンに参加したですね。
記 2004年11月 tri-朋
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