2022 トライアスロン伊良湖大会
2022年9月4日(日)
参加者:迫田
 2022 トライアスロン伊良湖大会 Bタイプ 完走記

 コロナ渦JTU未登録で、3年ぶり大会「トライアスロン伊良湖B」に初参加してまいりました。
ナンバー&パンフ届き一週間検温ネット報告・リモート競技説明会とのっけから様変わりしてましたが、逆にイメトレ進みテンションが上がりました。 心の中でスキップしながら自宅でトランジション準備、名簿を見るとほとんどが愛知県民。A600名B600名ボラ900名のお祭り騒ぎ。
 当日、全国トライアスリートは佐渡に集結している模様。
今回はコロナを盾に練習不足アピールでユルトラ・リゾトラ車中泊かソロキャンプを想定していましたが、夜暗い中一人泊は怖いのでシティホテル予約。 ところが突然の家族の応援表明。慌てて増室するも主催者枠(シングル)は満室。ホテル直接交渉でプラス一室和室をキープ。 クルマ狭いのでバイク屋根積載。いざ、現地入り。開会式フル出場してみるとバンド和太鼓フラダンス出店に抽選会。最後に大花火と久々のお祭り騒ぎを満喫。 翌朝、Bスタート10:00の為、ゆっくり朝食。応援団を同伴ゴール待合に送り込みいざスタート。
スイム:海きれい。10秒20名の順番自由ローリングスタートで最後尾をセレクト。 凄いスピードで真横に泳ぐ「マグロなぶら」のような奴を数人かわしながらぐんぐん追い抜く。楽しい。 しかし自分のように自信がないが、こなれた奴が集まる折り返し付近で不思議現象、なんと大半が大外を回りインコースガラ空きアウト側ロープが大渋滞カオス! なんじゃこりゃ〜と、コース修正。とりあえず無事上陸。楽しい。
バイク:2年以上ぶりのDHバー取付。少々不安がありましたが、コースは海沿い湾側のフラットな直線3周回、風強くDHバー効果てきめん。楽しい。
ラン:予備シューズ無く、ワークマン\1,200シューズ前日から普段使いで足の甲靴ずれ。キズパッドでスタート。岬外洋側のUP・DN激しいコース。
遊歩道で防風林の日影と岬の強風が心地いい。景勝地を走る。楽しい。 同伴ゴール:こんなあほ親父を炎天下で待たされたガキども笑顔で可愛い。53.5km3:00:27遅いですが、やっつけました。楽しい。 全体のレイアウトもわかり、海きれい・山きれい・マスクメロン産地。魚アサリ肉おいしい。ということで、トライアスロンの魅力を200%思い出させてもらえる。 最高の大会でした。
 ※でもやっぱり佐渡に行きたい。来年はJTU登録、佐渡落選した場合リピートAです。

2019佐渡国際トライアスロン大会
2019年9月1日(日)
参加者:迫田・冨沢・和田・野田・奥濱
 第31回 佐渡国際トライアスロン大会 完走記

 去年Bミドル参加に続き初めてのAロングディスタンスに挑戦させていただきました。 佐渡は3回、2009年にBデビュー。2018年Bリベンジ。今回2019年で3回目、 ロング挑戦は東トラにお世話になり11年目にして実現できました。苦節11年です。
前回に続き宿はチーム和田さんの紹介。行程は野田さん奥濱さんと私の3人での車。 現地にてチーム和田さん2名。受付、ウェルカムパーティーでは鬼塚さん合流、 それぞれ常連の方との久々の再会もちらほらあったようです。
●初日の受付とパーティーはBタイプ2回目に挑戦の競泳オリンピックメダリスト松田丈志さんが挨拶、 6時間15分切りを目標にトレーニングを積んできたようです。競泳ですが世界トップレベルの選手でも コツコツと目標を持ち公言して実行するところは流石だなとおもいました。
パーティーは米どころ酒処海産物の島どころで本当においしい日本酒と特産食べ物が食べ飲み放題で 地元のボランティアお母さんたちがトキのかぶりもので接待頂けるのがとても可愛くてうれしいです。 (トキの妖精と勝手に呼ばせて頂きました。)
●二日目は、AM相川地区をバイク試走、海の透明度高い景勝地千畳敷でスイム試泳。 海ランチをすませPMトランジッションバイクセット。体も佐渡の海と空気になじみ程よく疲れて早めにレース準備整え消灯。
●三日目決戦。AM3時起床4時には現地入り第一駐車場のポジション取りに成功。 天気は晴れ、前日から心配されていた強風うねりは消えていましたが、 すこし風残り波が立ち水が濁った状態でスイムスタート。スキップ・DNFも少なからず、 キツめのスイムとなりました。バイクパート、ここからはデビュー戦の為、個人的な意見です。 大佐渡の景色は壮絶で、ジェラシックパークを思わせる断崖絶壁の海を横目に海岸線を走る190km。 感動と共に東トラの先輩は何故「この景色は凄いよ!」と教えてくれなかったんだろう!?と思いながら7.5時間のライディング。 トランジッションに戻るとタイム9時間数分。14時間は切れるかもしれない。 残り片10.5`×2往復。ランパート、行き10`で10時間数分。「ん。キロ6分切りで13時間の壁も乗り越えれるか?」 足がバンバンなのに欲が出る。折り返しトランジッション11時間十数分「いや。死ぬ気で走れば13時間の壁を・・・」 20キロ過ぎ地点で冨沢さんに会い、そんなことをブツブツ。そのあとはとにかく一人づつ前に追いつき、 追い越されたら出来るだけついていく。ラスト15キロで日没も始まり、ラスト10キロ折り返し、 足元も見えない真っ暗闇の町中、田んぼ道を進み噂に聞いていた手作り灯篭。Bだと昼間でしたが、 夜見ると佐渡の人たちの手作り感がやけに優しく感じ、涙が滲みました。さらに暗闇を5〜6`。 なかなかゴール前の明るい商店街に出ない。ラスト2キロ。商店街が出てこない。真っ暗な夜道。 「ん。この延長に商店街があったような。」直線道路ですが、商店街のアーケードからは極端に明るく地元の人やチームの応援で溢れ、 一日中応援していたのにもかかわらず大声で応援してくれる人の山。 ゴールではBタイプの先輩に迎えられ、今までにない感動。掲示板タイム13:29:何某秒。
●10年前のBでは熱をだしゴール後、先に宿で寝ていて皆のゴールに立ち会えなかったこと。 そのときにはゴール立会いの意味が解らなかったこと。 10年たった今も先輩はいろいろな状況を抱えながらもここで走っている姿を見て感動、 ゴールでワチャワチャ。例年よりも涼しいとはいえレース中、熱中症に注意するほど熱く、 頭から何度も氷水をかぶりゴール。気が付くと秋の虫が無き、風で体が冷え込みかけたときに上がる花火は、 夏の終わりと一年間の練習や出来事を振り返り、涙がこみ上げてきました。
トライアスロンに感謝。この10年で出会えた皆様に本当に感謝しかありません。
またいつか挑戦してガッツリ涙流します。

来年は、、、小中学生・双子の幼稚園児4人娘の子育てと練習に集中しながら、身のふりを考えます。(佐渡から帰ったら、お父さんこれ見てぇ〜がたくさんあったのでホッとしました。)
【迫田】

 6年ぶりの佐渡再挑戦でした。
前回はAタイプ参加で抽選あたりに喜んで参加と思ったのですが、肺癌が見つかりもうこれでトライアスロン挑戦はできないと 手術時期を佐渡の後にして挑戦しましたが、スイム中止、然も小木の坂で心房細動再発でラン3Kmでリタイアして手術しました。 その後、体力が何とか戻り51.5kmにも挑戦できるようになり、昨年Bタイプにも参加許可となりましたが、また今度は膵臓癌で パスとなりましたが、今年も挑戦できるようになり参加してきました。
 スイムはうねりが有り水もにごり何とか岸にたどり着き、バイクは前半は気持ちよく走れたのですが、後半は向い風で 小木の坂では足が攣り、我慢してランに向かいましたが、足の攣りは治まらず結構歩きました。
   商店街まで戻ってきて私の名前を呼ばれたときは、ほんとにうるっとしました。
Bタイプですが佐渡に再挑戦できると思っていなかった。ほんとに感動もんです。
【tri朋】

2018佐渡国際トライアスロン大会
2018年9月2日(日)
参加者:迫田・和田・富田・冨沢
 佐渡国際トライアスロンの30回記念大会完走記

 佐渡国際トライアスロンの30回記念大会Bに参加させていただきました。
東村山組、かつ大会出場者で唯一完全出場し全レース完走の偉業に今回挑戦する和田さんと同行しゴールテープを切る瞬間に立ち会いたいという思いと、 私自身8年ぶり2回目の挑戦で自分の練習への取り組みの成果を確認したく参加させていただきました。
今年、台風の発生も頻繁ですでに21号が南の島で発生、数日前に20号が通過し、ほんの一瞬の静かな天気となりました。
前回大会との違いを感じたことは、スイムコースのAが、Bの2周回になったのでAスイムのワイルド感が無くなった分、 安全なコースになったようです。ランもBの2周回、沿道の応援も多く距離の刻みもわかりやすくなったのではと思います。 その分想像ですがAランの孤独・ストイック感が無くなったような気もします。
抽選や、故障により参加できたのが冨沢さんA・和田さんB・迫田Bの3名。 私は船手配、配車、宿をすべてチーム和田さんに相談しおまかせ相乗り相部屋でお世話になりました。 チーム和田さんは行程で5名、現地で9名。皆さまさすがのトライアスリート大変気さくで、クラブチーム並みに楽しめました。
毎度のことながら、トライアスロンをしているひとは練習や私生活での時間の使い方が上手で段取りがよく他人に頼らない (相談すれば助けてくれる)・干渉しない「ちゃんとしている感」があり、魅力的でとても大会への取り組みや私生活の参考になります。 これは練習の時、東トラの人々にも毎回思います。
大会に向けては、1年近く照準を合わせてやってきて自分なりにはポンコツが「ポンコ」くらいになった感じで、 成長した感じはつかめたのですが、まだまだ。

東トラ皆様の過去リザルトをあらためて見て全く足元にも及ばないことが身に染みてわかりました。 今後は自分なりの目標を立てて、しっかり着実に成長をしたいと思いました。

そして、今回は誰にも塗り替える事が出来ない偉業を達成したレジェンド和田さんに心から尊敬と感謝の気持ちを送りたいです。
おめでとうございます!!
その背中で私たちをトライアスロン好きな気持ちに導いていただきましてありがとうございます。!!!
この気持ちは、東トラ先輩全員にも言わなくてはですね。
素晴らしい天気とトライアスリートに恵まれ明日からもラッキーな毎日を過ごします。

※ 私は、今後ロングに行けるかどうか個人的にねちねち悩みます。
【迫田】

銚子トライアスロン大会
2017年10月1日(日)
参加者:岡部・福井・柏倉・野田・羽倉・傍士・石原夫妻
 銚子トライアスロン参加の皆様お疲れ様でした。天気に恵まれ最高のロケーションのコースでした。 ランコースは4周回ということでしたが眺めも良くボランティアの高校生も元気で頑張っていて エネルギーもらえました。バイクコースも刺激的なアップダウンで個人的にも好きなコースです。 遠いのが難点ですが全員完走での記念撮影は最高ですね。また宜しくお願いします。  【岡部】
 銚子大会、お疲れ様でした。 私を抜く時に「完走!完走!」と岡部さん、声掛けありがとうございました^ ^ バイクでもランでも赤いウェアが度々みえて励まされました。 初めての銚子でしたが、海はとても穏やかで遠浅です。泳いでいる時に何度も手に柔らかいものが、 あれはクラゲの大群?だったのかな。刺されなくてよかった。 バイクコースはアップダウンが激しくDHバーは使えませんでした。下りの勢いで上れるかと思いましたが、 それでは足りない上りでした。前日は風がかなり吹いて不安でしたが、当日は後半から風が少し吹く程度でした。 風力発電の風車がらあちこちにあり、この辺りは風が吹きやすいのかなと思いました。タフなバイクコースでした。 ランニングは平坦コースで4周回。 バイク完走でホッとし過ぎてコケました。普段履かないシューズにしたのも反省。しっかり走りたかった。 ケガの擦過傷はキズパワーパッドで痛みなくて早く治りそうです。羽倉さん、優〜〜しく教えて下りありがとうございました^ ^ 部長は痛いよ治らないよ痛いよ痛いよー! そればっかり。ホント面白すぎて痛くなくなりました。ホージおじさまありがとう。 残念なゴールで走り足りなかったので、はやく走りたいです。 痛かったけれど楽しい大会でした。 ありがとうございました。 【石原】  皆様銚子トラお疲れ様でした、石原さん痛み体験ご苦労様です、私も予期せぬ特異な体験をして参りました、 これはフィクションではありません、事実です。スイムスタート、入水するも何かすっきりしない、 そのうち苦しくなり平泳ぎになる、また泳ぐもすっきりしなく平泳ぎになる、そのうち疲れて、 ライフセイバーのボードにつかまり休憩、また泳ぐも何か苦しくなり休憩、こうして一周回終了。 もう完璧リタイヤだ、審判もリタイヤしますか?の声、しかし納得いかず、打ち上げでおれだけかやの外か、 ビールもうまくない、そこで振り返って海を見るも誰もおよいでない! 俺は誰もおよいでない海をもう一周回およがないといけない、もうこれはお笑いの世界、こんなことはじめてだ、 そしてまた苦しい苦しいと泳いでいるうちやっと呼吸が普通になり(遅すぎ)、それからは飛び魚のように必死で泳ぎまくりました。 足切り3分まえにスイム通過、その後のバイク、ランは順調に行き、なんとか制限時間前にゴール。 そこで検証、スイム死亡事故が多いのを考えるとあの時はやはりリタイヤするべきだったと思います。 「やめる勇気」とくにスイムでは肝に命じたいと思います。今回はアップをあまりしなく、 海になじんでなかったのが原因だと思われます。皆さんアップはしっかりやりましょう! 【傍士】

横浜トライアスロン大会
2017年5月14日(日)
参加者:宗田・柏倉
 海は本当にひどいのですが、横浜の街中で出来ることが素晴らしい。 ワールドとパラも見れるし、バラ園も咲き誇ってて綺麗でした。ホテルも9階だったので夜景が素晴らしかった。 横浜は今年で最後にしようかなって思ってたけど来年考えてみよう。 人数多いし、ウエーブが違うと時間帯が違うので柏倉さんと会えないかもしれないと思ってたけどゴールの所で応援しててくれて、しっかり写真も撮れました。 【宗田】
 前日のエリートの大会が雨で、寒さとコース状態が厳しいなと思いつつ、当日の朝は曇りだったので、少し安心しました。会場に行くと風があり、波もあったので不安な中スタートしました。特に、泳ぎ始めのパニックになることもなくスタートできたので、順調に行きましたが、2週目で波に揺られ、大きくコースを外れながらも、なんとか足切りギリギリでスイムを終えました。スイムを無事におえて、最近絶好調のバイクでタイムを稼ぎ、ランも捻挫の影響がなく、普段通りの走りができて、完走ができました。 今まであまりメジャーな大会に出たことがなかったけど、やっぱり沿道の応援は元気をもらえます。 【柏倉】

陣馬山トレイルレース
2016年11月6日(日)
参加者:迫田・傍士・野田・福井・斉藤・石原
 このコースは明王峠まで登って、ここから陣馬山まではほぼ尾根道ですが、陣馬山から落合までは下りで、ここで給水して アスファルト林道をひたすら登ります。栃谷林道分岐から登ってきた道をゴールまで下ります。 今年は最初の上りが豪雨?の影響でしょうかコースが変更され帰りのコースを使用してののぼりです。 私は心臓の問題もありゆっくりと登り最初の渋滞でゆっくり出来たせいかその後の明王峠までが苦しくとも なんとか順調に登れました。陣馬までの平らな尾根も登山者に挨拶しながら走れました。但し急な上りは歩きです。 陣馬山では天気がよく富士山が見えましたので記念写真をボラの方にとっていただき、これからは下りですので 息が苦しくないので快調に飛ばしました。これがいけませんでした狭い登山道で前走者が遅いので抜かそうと したのがなぜかこけてしまいました。心拍計測が付いている時計のバンドが切れてしまってがっかりです。 でも気を取り直し時計を背中のポッケトにしまい再び走り始めるのですが手が若干痛いのです。 膝もすりむき血がにじんでいました。とにかく落合までゆっくり下りここで給水して登っていると石原さんに 会いましたがしばらく一緒しましたが、でも置いて走って分岐までがんばりました。 ここからまた、下りです。下りは苦しくないので飛ばしました。これがいけませんでした。歳を考えなかったです。 右左に曲がりながら下っていたときに踏み外してがけ側に転倒です。2回転しました。みなさんが上で大丈夫ですかと 声をかけていただきました。今回は大丈夫でした。どこも問題なくよじ登って、今度はゆっくりと下ってゴールしました。 足の怪我の治療で救護にいって手当てしていたときにガバッと口が開いた状態の膝の女性がいて治療していました。 お医者さんが今年はこのような怪我が多いといっていました。私のような擦り傷はお恥ずかしいくらいなのでさっさと 戻ってきました。部長と急いでいつもの温泉です。部長はその後気持ちよく乾杯でした。 もう歳のことを考えて走らないと怪我の元ですね【朋】

宮古島トライアスロン
2016年4月17日(日)
参加者:宗田さん・部長・SAKA
 [(完走してないので)感想記]
部長、宗田さん、宮古お疲れさまでした。お二人ともすごいです。感動です。部長はスタート前の完走するぞ〜!完走するぞ〜!完走するぞ〜! を選手代表で行い格好よかったです。なかなかまねできません。最後の宮古の思い出どころか、人生のよい思い出になりましたね。私はと言うと、 宗田さんの書き込みにあったように大会前日にバイクを組み立て、まさかのシートピンがボキ。折れたネジがフレームに残ったまま。 万事窮すでしたが、シーポの田中社長が大変な思いをして、中のネジを取り出してもらい、奇跡的にスタートラインにたつ事ができました。 しかし、バイク100K過ぎた当たりでサドルのあたりで異音発生。又シートピンが折れました。たぶん、 2本あるシートピンは金属疲労で折れやすくなっているところで運送の為、つけたり外したりして大会前日に1本折れ、 新しくチタンのシートピンを入れてスタートしたものの、もう1本はアルミの為、アルミがまけてポキって感じかと思います。 バイクフィニッシュしましたが、ランは全く走れませんでした。残念。皆さん、大事なレース前には、普段いじらないようなネジ、 ナット系をいじる際は、新しいものに換えておきましょう。【SAKA】
 [いい思い出になりました]
 あねご様々、サカさんお疲れさまでした。またコメントありがとうございました、皆様の優しいお心使いがひしひしと伝わってきます。 とにかくあねご様々はすごい、ミニスカートでもロングスカートでもどちらも完ぺきには着こなせる(ちょっとたとえが良くなかったかな) あんなにチンタラ、チンタラしてるのにショートでもロングでもどちらもいける、どうなってるんだこの人は! これから優勝メタルがどんどんふえることでしょう。サカさんは早く挫骨神経痛を治し復活してください。 今年一年持久系筋トレをしてきましたが、ラン時の頭痛、吐き気、だるさ、眠気など内臓的持久力が無いことをひしひしと感じました。 宮古最後の思い出としては、スタート時の開会式において、アナウンサーがスタートの発声をする人だれかいませんかの声にしばらく沈黙、 そこで、これが最後だしいい思い出になると思い、思いきってスタスタ歩いてお立ち台に上がり[東村山からきたほうじと申します、 あまり完走していませんが、今回だけは完走したいんです、それでは皆さん気合いを入れてよろしくお願いします、完走するぞ!おー! 完走するぞ!おー!完走するぞ!おー!]と、たいしたことない私なんぞが完走するぞ!と右手を挙げると、1700名の選手の方たちが続いておー! と拳をあげる姿に、もうもうそれはそれは感謝、感激、感動雨あられ、人生で最高の思い出になりました。 終わってお立ち台から降りるとサカさんが大笑いしてました。そのあと、今回で勇退ですね頑張って下さいと声をかけていただき感謝、 感謝でいっぱいです。今回はぎりぎり完走、入院、オムツ、お立ち台、など最高の思い出になりました。 最後に、私のレースナンバーは650でした。5と6を入れ換えると五郎丸になります、なにからなにまでいい思い出になりました。 ありがとうございました。【部長】
 [うわ〜知らなかった]
 とりあえず8:30までいたのですが来なかったので寒かったし帰りました。帰り際救急車のサイレンが響いてたけどもしかしたらあれに乗っていたのかな。 倒れるまで頑張って偉い偉い。65歳32名の男子が参加していて12名はリタイアしているので最後まで頑張ってたいしたものです。 ライアスロン日和ですと言われて喜んだのですが、スイムから上がるとザーザーの大雨。 風もまああったし、バイクまでは楽しみましたがランは取り敢えず5キロ.10キロと行くしかない最近右腿裏が直ぐ痛み、 普段も結構気になっていたのですが走って直ぐに痛くなり氷をもらってランパンツの中に詰め込んで走っていました。 と言うか4分の1以上歩いてたかな。完走目的で大丈夫そうだったので最後の5キロは殆ど歩きです。 65歳の2人がリタイアしてるので最高年齢賞もらえるかな。 ぶっちょ〜ばなしのナイト練習会は次回は出なければ。【宗田】

陣馬山トレイルレース
2015年11月8日(日)
参加者:tri-朋
 今年で9回目の参加です。年々参加者が増えてトレイルの渋滞が出来てタイムロスがでる状況の大会になってきていますが 今年は雨が振ったり止んだりの中でコースもすべるようで気を付けなければならない状況です。私は手術の一昨年は不参加で 昨年は術後なので完走目的で走りましたが、今年はもうチョットがんばってみようと思って最初の登りは苦しいけど走りました けどすぐ歩きになり途中から部長と一緒になって明王峠手前まで行ったのですが、ここで置いていかっれて陣馬山からの下り では苦しくないので飛ばしました。なんと前に部長が見えてきました(後で聞いたのですが途中で寄り道をしたそうです)。 落合の給水手前でまた、置いていかれましたが、ここでバナナを補給して林道を走ったり歩いたり途中の急なコンクリート 道路は歩きです。ここを過ぎるとそんなに急でないのでなんとか走って林道出会で給水後下りです。また、飛ばしました。 結果昨年より20分ほど良かったです。でも一番良いときのタイムに比べると1時間も+です。まーしょうがないですね医者には 無理しないように言われているので、歳相応の走りで楽しんでます。その後いつもの温泉にみんなで使ってきました。 この大会は距離が23Kmで制限もゆるいので晴れていれば陣馬山からの見晴らし・紅葉が最高です。

うつくしまトライアスロンinあいづ
2015年8月23日(日)
参加者:石原 里江
 猪苗代湖は遠浅で驚きました。バイクコースは下り基調のワンウェイで気持ち良く走れるコースでした。 ランは会津大学の敷地内と外周のコースでした。トランジションが2か所で、どうなるかと思いましたが、 最後は気持ち良くゴールできました。フニッシュ後は、スイカ、桃、トマト、 ガリガリ君食べ放題!美味しくて皆で夢中に食べました(笑)アワードパーティーでは、ソースかつ丼、 野菜カレー、おにぎり、唐揚げ、、、日本酒、ビール、ジュース、すべて美味しくて大満足でした。 皆で乾〜杯!!ありがとうございました。

アイアンマン70.3セントレア知多半島ジャパン
2015年6月7日(日)
参加者:田口 耕二
 アイアンマンセントレアに出てきました。初のミドルで、6年ぶりのトライアスロンとなるし、 スイム練習もこの6年ほとんどできていないので、どうなるかと思いましたが、無事に完走できました。 手元の時計では6時間15分くらいでゴールできたと思います。 スイムは水温20度ちょいでフルスーツで泳ぐのにちょうどよく、ウエットの浮力で比較的楽に泳げました。 バイクコースは知多半島のアップダウンがあるコースと知多半島道路を走るコースで何もなければ楽しいコースなのでしょうが、 私にはとてもキツイコースでした。 ランは知多半島の先当たりからセントレアまで戻るコースで最初の5−6kmは12%のアップダウンを確か5−6個超えるかなりハードはコースでした。 ハーフとは言えアイアンマンのフィニッシュゲートをゴールしたときは嬉しかったです。
この数年はバイクとランばかりだったので、これを機にまたトライアスロンに積極的に出場したいと思います。 うれし〜〜〜い! 佐渡が、益々好きになりました。ありがとう佐渡! 。

佐渡国際トライアスロン大会 Bタイプ
2014年9月7日
参加者:石原 里恵
 応援ありがとうございました。初のミドル!無事完走しました。
昨日は、観光で佐渡金山に立ち寄り、夕方のフェリーで帰り、自宅に着いたのは深夜でした。出発も真夜中でしたので、 ハードスケジュールでどうなることかと思いましたが、完走できて最高に嬉しいです。佐渡の風景、温かい応援、 充実したエイド、すべて思いきり楽しむことができました。
天候に恵まれて海は透明度が高く、波やうねりもない穏やかな海で、 OWSは気持ちよく泳げました。初めてのバイクコースは、アップダウンを繰り返し、トンネルも4回通る変化に富んだコースでした。
美しい風景とエイドを励みにして20kmごとに止まり、おにぎり、バナナ、スイカ、レモン、オレンジ、梅干し、コーラ、そして、 用意したエナジージェルをしっかり補給しました。海岸線は向かい風が強くて苦戦しました。 小木の坂はキツかった〜!最後のランでは、3kmまではマイペースで走れましたが、5kmで一気に足が前に出なくなり、 歩行者より少しだけ速い程度の進みとなりました。日差しが強く暑い時間帯の中、日よけが全くない炎天下でカメのように進み、 辛さが増しました。坂!が目の前に見えて挫けそうになりましたが、境野さんがすれ違いに声を掛けてくれて元気をもらいました。 最後の3km地点でオニさんとすれ違い、とても大きな声で喝を入れて頂いて、折れそうな気持ちも復活しました。
仲間は本当に有り難いです。ありがとうございました。
フィニッシュゲートが見えた時はテンションが上がり、軽やかに走り?(笑) 念願のゴールテープを両手で掲げてゴールすることが出来ました。
最高の瞬間でした。また、来年もチャンスがあれば、佐渡へ行きたいと思います。 すべてに感謝!!ありがとうございました。
暫くは、嬉しい筋肉痛を楽しみます〜。
佐渡大会26hということで、順位の末尾6番にプレゼントで、私は86!当たりました〜!佐渡産ル・レクチェという洋梨が12月に届きます。
うれし〜〜〜い! 佐渡が、益々好きになりました。ありがとう佐渡! 。

トライアスロン珠洲大会 Aタイプ
2014年8月24日
参加者:石原 由之
 佐渡Bが落選でヤケ気味でエントリーしていた初ミドルの珠洲大会です。
業務多忙とトレーニング不足で直前まで参加を迷いましたが、思い切って行ってきました。
先にヤマトでバイクを送り、金曜日夜の夜行バスで土曜日朝に金沢入り、レンタカーを借りて珠洲へ。 翌日のレース後はその逆で、バイクを発送してから、レンタカー、高速バスを乗り継いでトンボ帰りというめちゃくちゃなスケジュールで、 今朝戻って朝から会社へ・・・来年出るとしたらこんな無茶なスケジュールはもう組みません(笑)。
レースは薄曇りで後半は少し雨混じり。最高気温30度以下で水温21度でこの時期にしては良いコンディション。
スイム2.5km、バイク102km、ラン23.3kmのレースのスタートです。
 苦手なスイムは波もなく泳ぎやすかったので助かりましたが、最後の数百メートルは流れが変わってなかなか岸にたどり着けず苦しかった。 人生最長距離をなんとかクリアでホッとしました。途中でひとつ前のウェーブの選手がちょっと泳いではブイとロープにつかまりサルのようにスルスルと、 泳ぐのと同じぐらいのスピードで移動しているのに遭遇(まともに泳ぐよりスルスルの方がメインだったような・・・)。 しばらく並走しながらあまりの鮮やかさに驚くとともに、呆れました。あれで完走しても意味ないだろと。 自分はゆっくりペースでもロープやブイのお世話にはならないと決めていたので、最後までマイペース。
 バイクは100km、獲得標高1350mぐらいのハードなコースですが、崖崩れによる迂回や峠へのアプローチが新たに出来たループ状のバイパスに変更になったりで、 今年は102kmで獲得標高1530mと難度アップ。最大15%超の大谷峠はなかなか走り応えはありました。 51kmのコースを2周するのですが、2周目の大谷峠はフラフラしたり押して歩いている選手が少なからず・・・ コースの過酷さを物語っていました。補給は5kmごとぐらいにあるエイドでいろいろと食べまくりました。これは助かった。
 ランは平坦基調でほぼ街中を走るので、沿道の応援が励みになりました。2kmごとのエイドも充実していて満足。 走り出してまもなく左腿の裏が攣り、回復したと思ったら、今後は右腿の裏が攣り、とリタイヤが頭をよぎりましたが、 エイドのエアサロンパスを掛け続けながらなんとか走りきりました。制限時間まで残り20分ぐらい。 完走者全員に大きな金メダルがもらえて嬉しかった。
バイクのコースの難度は国内の大会でも有数だと思います。バイクの好きな方はぜひチャレンジしてみてください。 ただし、参加者数に対して宿泊施設のキャパが少ないので、宿の予約に出遅れると輪島辺りに泊まることになります。 今回は地元の観光協会の計らいでなんとか相部屋にねじ込んでもらいましたが、人気の宿はほぼ毎年常連さんで埋まっているようです。
 今年のトライアスロンのレースはこれで終了です。

星の郷八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン大会
2013年5月19日
参加者:野田
 昨年は71Kmでリタイアしてしまったので、今年は時間内完走をと、不整脈があるのでスピード練習が出来ない状況で6分/Kmオーバー での練習を積んで狭山湖周回を2回しての参加となりましたが、やはり結果は練習不足でしたね?。
 当日は曇で風もありチョット寒く、天気予報の雨はパスできました。スタートは慎重にゆっくりと6分/Kmオーバーでスタートです。 と同じユニホームの方が立ちションです。お付き合いして、少しずつ登り林道の砂利から連れを置いて10Km地点間までは予定通りで その後の登りは歩き下りは走りと砂利道の平地も歩きになり、途中のエイドのイチゴとぶどうをいただき20Km地点は予定よりチョット 遅いかなと?。
そのうち高橋豊さんが追いついてきて、私が登りで歩いているうちに置いていかれ35Kmの稲子湯のエイドでは、お汁粉をいただき トイレで並んでいるとトイレが壊れたとエー!となんだかんだで温泉のトイレを使用させていただきエイドに戻り、 またお汁粉をいただいているとあんなにいた選手がぱらぱらです。時計を見るとだいぶ予定オーバーです。この後のチョットの登りを歩き、 一気に下っていると部長が居ました。どうも前のエイドで抜かされたようで、部長も調子があまりよさそうでありません。 でお先にと走って下って42Km地点に近づくと、なんと後2分と叫んでます。エーなんでと、ここには6時間の関門が有ったのです。 知らなかったです。何とか1分前に通過したのですが、直ぐのエイドでこの先の50Kmの関門時間を考えると何とかギリギリ通過しても とても完走は難しいと断念して、後ろの部長は関門でアウトなっているはずなのでなので、戻って部長に付き合ってリタイアしました。
 部長は71Km地点に預けた荷物が戻ってくるのかと昨年と同じにスタッフに詰め寄っていましたが、とにかくバスに乗ってゴールに戻り、 お風呂から出るとなんと高橋豊さんが戻ってきました。50Km地点で完走が難しいのでリタイアしたと、 オニさんは腰が痛いと言っていたのですが戻ってこないところを見ると走っているようで、部長は予定通り電車で帰りました。 彼らが戻ってくるまで時間が有るのでチョット一眠りしていると雨が降っているでは、これは寒くて雨のウルトラは厳しそう、 彼らの80Kmの通過時間を見るとギリギリかなーと、でも13時間30分過ぎに帰って来ました。堺野さんとオニさんとの差が3分でした。 お疲れさまでした。
【反省】来年に向け私はウルトラあきらめ42Kmに挑戦か?、もっと練習して完走目指すかどうしよう?。

日本山岳耐久レース「長谷川恒男CUP」
2012年10月8(日)〜9日(月)
参加者:野田
 この大会は、五日市(あきるの市)を拠点に奥多摩の今熊山・醍醐丸・生藤山・丸山・槙寄山・三頭山・月夜見山・ 御前山・大岳山・御岳神社・日の出山・金毘羅尾根・金毘羅山と71.5Km、標高は三頭山が最高峰1527m、 スタートは午後1時で制限時間24時間の大会です。一昨年は16時間弱で走れたのですが、昨年心臓の手術をした後の大会なのでチョット申し込むのも 躊躇したのですが、でもとにかく殺到するランネットから1時間かけて申込ました。トレイルランは最近は人気で若い女性も多く参加してます。 今年は、五島・佐渡とロングを何とか完走しているのですが、ランに不安があり、佐渡の後のラン練習で不整脈が出ました。 このため事前準備のため富士登山と御前山・日の出山のトレイルをこなしての挑戦でした。
 当日は朝から雨でしたが午後には止むとの天気予報でしたので、雨の中現地に向かいました。 今回は仲間がいない、私一人の参加でしたのでスタートまでの間がさびしかったです。 スタート時には雨もやみ準備体操が時間がなく途中で終わり、直ぐスタートとなりました。 入山峠で並ぶのを避けるため前の方からのスタートをしたのですが変電所まで行くのに渋滞して、前回はそんなことはなかったと他の 参加者も行っていました。でも何とか入山峠ではそんなに並ばないで通過し、順調に走れました。雨の後でしたのでチョット蒸し暑かったのですが、 何とか生藤山を過ぎ、暗くなってきたのでハンドライトを付け第一関門の浅間峠に着きました。時間は前回より5分ほど遅いだけでここでおにぎり・ パンを補給してヘッドランプを付け二灯で再スタートです。ところが土俵岳・丸山の登りが苦しいのです。息がうまく出来ない。 でも、下りでは気持ちよく走れてしまうのです。再度槙寄山の登りはさらにきつくてチョット登り休みの繰り返しで脈を診ると乱れているというか、 脈が無いように弱いというか、とにかく苦しいのです。でもこのレースはここでリタイヤしても救護は無いのです。 このまま走っても完走は無理かなと思いながらとにかく月夜見までは行こうと思って足を前に向けるのですが三頭山前の大沢山の登りでは、 心臓がもう止めてくれと叫んでいる状態となり、ふらつきます。このままでは月夜見の先、御前山の上りは狭い尾根・鎖場などもあるので無理かなと。 もし、大会に迷惑がと思ったりしながらゆっくり休みながら登りようやく三頭山頂上です。風があり寒くなってきたので長袖を一枚着込みチョット休み、 月夜見まで行って、今回はリタイヤしようとオニさんも止めている所だしと決断して下りだすと少し走れるのです。 うーん月夜見の先行けるのではと思ったりするのですが、鞘口峠後のチョットの登りになると、心臓が止めてくれと叫ぶのです。 月夜見山の手前の奥多摩道路は普通は走れるところなのですが、今回はとうとうだらだらと歩く状態になってしまい。 月夜見の第2関門でリタイヤを宣言しました。救護に行き脈が乱れていることをつげ医者に見てもらったのですが、医者はお脈が取れないぞと でストーブのあるテントで毛布をかぶり横になっていると脈だ出てきたと医者が、(このお医者後で聞くと歯医者でした!) 体も少し温まりココアをいただき落ち着きました。リタイヤ者は一度都民の森に集められそこからバスでスタート地点に送って頂いたのですが、 リタイヤから3時間くらい掛かりました。
今回の挑戦は、危惧していた不整脈の再発してしまいました。でも手術以前の心房細動のようではないと思うのですが、 とにかく心臓からは激しい運動は金輪際だめといわれてしまったので長谷恒は卒業します?。【野田】

BRM1006関東一周600km
2012年10月7(土)〜7日(日)
参加者:石原
 土曜日3時前に自宅を出て、スタート地点の等々力緑地まで36km自走。 4:30からのブリーフィング後、5:00ごろ100人以上の参加者がスタート。 一つめのチェックポイント姉ヶ崎の78km地点までは快調で、銀座、日本橋の目抜き通りを抜けながらノンストップで飛ばします。 136km地点、勝浦のチェックポイントあたりから気温が上がってかなり暑くなりました。 230km、銚子犬吠埼までの道は今週末にツールド千葉が開催されるコース。 北東からの向かい風と単調でダラダラと漕ぎつづけるのにウンザリ。 余りにも眠くて寝落ちしそうになる(笑)銚子の海岸線の道で日曜日のトライアスロン開催告知の看板がたくさんありました。 アップダウンのあるバイクコースを通る途中、選手たちが試走していました。 審判の方はバイクでコースの下見中でした。スイムは外房の波が高くて大変そうな場所ですね。 夕方に銚子犬吠埼を後にし、イキの良いお兄ちゃんと二人で牽き合って90kmを快調に飛ばし、 水戸のご老公という健康ランドに22:30ごろ到着。ここまで320km。 ここで温泉入って、カツカレー食べて仮眠。 ところが、2:30に起きるはずが、起きたのは3:30、一時間寝坊してしまった…
雨用の身支度を整えて4:00にスタート。 70km先のチェックポイントのクローズまで残り時間三時間…頑張れば間に合う距離なので走り出しましたが、 ミスコース、降りしきる雨、暗い夜道の山越えで一時間で20kmしか進んでいないことに嫌気がさし、 茂木の真っ暗な山あいの道でオアシスみたい光るコンビニへフラフラと…この時点で間に合わないと判断し、 気持ちも切れました(笑)。 寝坊さえなければベース的には十分余裕があっただけにとても残念ですが、これもブルべのうち(完全な自己責任)。 ただいま、栃木の笠間駅から輪行でまったりと帰宅中です。 今年は200、400、400kmと順調にクリアして来ましたが最後の最後で寝坊という落とし穴にハマりました。 仮眠所で周りに迷惑をかけまいとアラームをバイブレーションだけにしていたのが敗因だと思いますが、 そもそも前日三時間睡眠というコンディションも大いに反省するところです。 来年リベンジします。【石原】

2012 秋田内陸リゾートカップ 100`チャレンジマラソン大会
2012年9月23日(日)
参加者:鬼塚・傍士
 オニさんは100キロ、私は50キロ無事完走しました。当日は曇っていて非常に涼しく気持ちよく完走できました。 澄み切った空気、景色のいいコース、宿泊する風情のある古民家、なんといってもエイドが最高、 あきたこまちを使った美味しいおにぎり、豊富な果物、最後までたっぷりあります。走るというより食べに行く感じ。 仕事を忘れ、家庭を忘れ、のんびり出来る癒しの地、秋田。死ぬまで行くつもり。それでは秋田いろいろ雑言
1、縦貫鉄道の窓口の職員さんのこと、銀縁のめがね、オールバック、ひげで一見いかつい感じ、 しかししゃべると東北弁ですっごく優しい。このギャップがいい。
2、開会式で来賓の挨拶が全部終わって最後に女性の司会の方が、「これをもちまして、閉会式を閉会します」・・ とまちがって言った瞬間、全員爆笑!
3、100キロの部で、スーツ姿にカバンをもって走ってる人がいた。やはり速度はゆっくり。 これで完走できるのと聞いたら、昨年はこれで出来たとのこと。 ハーフとかフルではこのスタイルの人は見かけたことがあるが100キロでは・・この人は無事完走できたんでしょうか? すごい人がいるなあ!【傍士】

2011夏合宿
2011年7月16・17日(日)
参加者:傍士・宗田・草間
 傍士さん、宗田さん、私の三名で宮塚さんの夏トライアスロンキャンプに参加してきました。 三人じゃ盛り上がらないな・・と思いつつキャンプ場に着くと他に五人の参加者で30代〜 60代のとてもいい感じの8人で挨拶もそこそこに早速バイクライド出発。 全員で15q離れた伊王野道の駅までで移動、12.5qの周回を午前中は4週前後目標に練習と言うメニューでした。 いつもは探さなくてもどこに居るか直ぐ分かる部長が今回は何となく静!真剣に坂道練習をこなしておられました。 宗田さんは今絶好調!!先頭グループにぴったり張り付き、二周目は私の視界から消えてしまい周回遅れになるかと思う程でした。
昼食後直ぐに同じコースを2周し、キャンプ場に戻り105qのバイクライド終了。 暑いのに休む間も無くランニング練習へ・・走り方の講習を受けたあと500mの周回をラン。 ポイントで宮塚さんが見ていて一人ずつ注意してくれるので止めたくても止められず10周してランニング終了。 部長は暑い暑いと言いながら頭から水をジャージャー掛けながらも頑張っていましたがやはり何だか静!
お待ちかねの宴会で部長パワー全開か!・・と思いきや飲んだ焼酎が合わなかったのか突然 (耳が、耳が聞こえない)と不調を訴え、俺は寝る!、皆に布団をひかせたり何だりで大騒ぎでした。 その後の会話はトレーニングやサプリメントの話などでもりあがり、9時過ぎには部屋に戻りました。
二日目、部長も元気に復活、6時から今回のテーマ、骨に乗る、を意識した歩きかたを教わり。 朝食後プールへ移動、バトルの対処法やドリルスイムの後、二日目のバイクライドへ、多少の坂・・ との言葉に騙され付いていくと坂ばかり、全開は一緒にめげてくれた宗田さんも今回は先頭集団を引っ張る勢いで、 私はスタッフの好青年ツヨポンに見守られながらマッタリ坂登り。帰りはひたすら快調な下りで気持ちよくキャンプ場に到着。
高原とは言え暑い暑い二日間でしたが、有意義な合宿でした。【草間】

 夜、藤原さんの奥様登場気さくに色々と裕司さんの話もして下さり私は大満足。 部長が寝ていて宮塚さんは酔いが回って饒舌でいい夜でした。自分たちだけではしないだろうなと言うメニュー をこなせて良かったなと思っています。【宗田】

2010東京マラソン
2010年2月28日(日)
参加者:柏倉 信
 今回の参加は、前日までのエントリーにも行けるか微妙な状況でしたので、 ビッグサイトでエントリーを済ませた時は、ほっとしたのといよいよという緊張でその後の仕事が手につきませんでした。 大会前の1ヶ月間はほとんど練習もできず、最長でも25キロ程度しか走っていなかったので、 フルの完走は厳しいかなと思いながら、念願の東京マラソンなので楽しむことにしました。
 当日は、朝から雨でけっこうしっかり降っていて、やっぱり雨男だなぁと自覚してしまいました。 ちょっと早いかなと思いながらも、朝7時には新宿に到着し、会場へ向かうとランナーと付き添いの方々であふれかえっていて、 ほとんどの人がカッパやポンチョをきて雨対策をしながら準備をしていたので、やっぱり必要なんだと、 自分もカッパを用意しました。 スタートは、Gブロックからで全体でみるとちょうど真ん中あたりだったと思いますが、 スタートラインからはL字の曲がったところだったので前方の様子が全く分かりません。
いつスタートしたのかわからないまま動き出した感じです。動き始めからスタートラインを超えるまでの時間は約9分。 スタート後に、歌舞伎町のあたりで家族の声援をうけて、靖国通りを飯田橋に向けて走りましたが、 全体でみると最初の5キロが下り坂で一番楽だったように思います。ここでペースをつかめたので、 しばらくは景色を見ながら、途切れることなく続く沿道の応援の様子を観察しながら走ることができました。 途中沿道の方が飴とかクッキーを出してましたが、ロールケーキを見た時には飛びついてしまいました。 普段は、車で通ったり、営業で考え事をしながら通っている道を、走りながら見ると景色がちがうなぁと感じたのと、 意外と走るスピードが景色を見るのにちょうど良いと気づきました。 ただ、浅草を過ぎたあたりから脚が重たくなってきて、周りを見る余裕もなくなりましたが、 築地あたりで家族の2度目の声援を受け、37キロあたりからは脚が攣り始めましたが、沿道の『脚が痛いのは気のせいだ』 の応援で気にせず走りました。あと1キロでゴールというときに欲を出してスピードを上げようとしたら、 脚が一気に攣ってしまい最後はふらふらで何とかゴール。 記録は、目標には届きませんでしたが、とても楽しめました。心残りは、芸能人に会えなかったことですかね。
参加者:野田 朋芳
 フルマラソンは何回も走っていますが、やはり東京マラソンはビックサイトの角を曲がってフィニッシュゲートが見えてくると 感激です、涙は出ませんでしたが!前回は肉離れで足の痛みをこらえてでしたので。今回はとても寒かったですが気持ちよく、 沿道の応援の皆さんにもボランティアにも感謝して走れました。
 今回は少しタイムを意識しました。それはランナーズの「フルマラソン1歳刻みランキング記録集」載せるためです。 本当は昨年末の河口湖マラソンで3時間30分の記録を出していれば、今回の東京マラソンは楽しんで走るつもりでいましたが、 残念ながら3時間43分でした。この年齢でこのタイムでは100位に入らないので東京マラソンでランクインしなければとなったのです。 河口湖前の練習は長谷恒の影響でアキレス炎になり、満足な練習ができなかったので、12月から多摩湖30Kmの練習を、 そのうち草間さんとのスピード練習もでき、東村山駅のサンパルネのジムで筋トレもして、いよいよ当日が近づいてきて、 1週間前は天候が曇でしたのでいい感じと思っていたのですが2日前になると怪しくなり前日の予報では雨、ワーこれは 記録が無理か?と、特に当日朝は完全に雨で寒くあきらめでした。Tシャツで走るつもりでいましたが、都庁のスタート前で 長袖にしてその上にTシャツを着てビニールの雨よけをはおり25分前(8時45分までに待機場所に入らないと一番後ろにまわされる ことになる)スタート場所に入りました。この間からだが冷えてきてトイレに行きたくなってきましたが我慢して都知事の 挨拶を聞き、スタート前の盛り上がりと号砲とともに紙ふぶき(ハートマーク)が上がりスタートです。 1分ほどでスタートラインを超えて雨の中を歌舞伎町・市ヶ谷・飯田橋と走りました。タイムはあきらめましたので体が冷えないか 心配しながらきょろきょろと走っていると暖かく感じ、5Km地点手前で雨よけのビニールを取り5Kmのタイムを見ると、なんと 予想より2分も早いのでとばしすぎかと、でもこの調子で走れるのならと、でもトイレにいきたいしなとトイレを 探して走っているのですが近い仮設トイレは並んでいるし、遠くのは空いているのですがチョットと思い我慢して走っていると10Km フィニッシュ手前の沿道で岸田さんに声をかけられ、一瞬トイレを忘れました。岸田さん応援ありがとうございました。 10Kmフィニッシュ過ぎの日比谷公園先の仮設トイレで用をたし、さあこれからと芝増上寺・品川へと折り返して15Km、銀座を通って25Kmまでがとにかく 寒かったです。品川の折り返した後が雨・風が強く給水はあまり取りませんでした。25Km地点で上を見ると白いものがあー雪だです。 寒いはずです。でも浅草寺の折り返しは下町風の応援で心が温まり、また銀座に戻ってきて、銀座の沿道は応援の人でいっぱいでした。 歌舞伎座前をとおり35Km地点へ、この先は佃大橋の登りがあルのですが、でも距離は短いので頑張って上りました。この頃になると 雨も上がり豊洲を過ぎ40Km地点ではまだ体力が何故か残っていました。いつもフルマラソンは20Km過ぎには足が攣り、 35Kmではガクッと体力がなくなってしまうのですが、何故かまだ走れます。フィニッシュ1Km手前の写真スポットではポーズを決め、 ビックサイトへ。フィニッシュ後の着替えブースには前回は気がつかなかったのですが足湯が有り、早速入って足・手を温めました。 このとき足の指が痛くなり紫になっていたのでびっくりでした。でも足を湯から出すと元に戻ったので安心しました。
 後で記録したTVの東京マラソンをみましたが芸能人が延々と写っているだけでした。やはり走って楽しまなければです。 落選した皆さんには申し訳ありませんが、来年も申し込んで当選して、ゆっっくり楽しんで走るぞー!!。
以上

所沢航空公園8時間耐久マラソン大会
2008年7月6日(日)
参加者:田口 耕二
 今日は法事さん、大柳夫妻、岸田さん、と私の5人が参加しました。応援に駆けつけていただいた、辻さん、 西園さん(私はお会いできませんでした)、宗田さん、岡部さん暑い中ありがとうございました。
結果は法事さんが余裕の14周、私はヘロヘロの14周でした。あまりの暑さに左ひざがオーバーヒートしてしまい、 9周目以降は周の半分以上歩いてしまいました。大柳さんも同じくらいの周回だったと思います。 岸田さんは淡々と周回をこなしておりました。 私は今回が3回目の出場ですが、今年が一番暑かったです。まるで渡良瀬のランコースを走っているかのようでした。 参加者は今年は500人を越え、年々人気が上昇している様が伺えます。来年は練習量を増やして参加し、 去年の記録(17周)を超えたいと思います。
以上

伊豆大島トライアスロン大会
2008年6月7日(土)
参加者:野田 朋芳
 いつもこの時期は日産カップに参加していたのですが、今年は島シリーズ(宮古・大島・佐渡)で まとめようと、初めて参加しました。アイランドシリーズの第2戦の大島大会で20回記念です。 参加者は240名ほどでローカル大会ですね、知り合いも居てよかったのですが行くまでは金曜夜20時 出発の船で翌朝6時元町着でした。宿で休憩朝食をし1時から競技開始でした。船はでの宿泊は 疲れました。朝会場に行ったのですが設営中でのんびりでしたが開始時間までには準備が出来ていました。 スタートは三ウェーブの時間差スタートで年寄りの私は最後女子と一緒でした。スタート地点は 浜からですが岩が出ていて泳ぎだしと上がるときが大変でした。泳ぎだす頃からうねりが来て沖のブイ (コースロープなし)が見えにくくちょっと大変で、そんなにバトルが無かったのですが肘鉄を喰らい めがねが外れてしまい付けるのにロスしました。スイムタイムはイマイチでした。
 バイクコースは10Kmの周回コースで行きは追い風で40Km/Hオーバーで戻りは向かい風でしたが 快調に走れました。ランはバイクコースの海側を折り返すコースで起伏がちょっとあるのですが、 出だしは抑えて後半は順調に攣ることも無く走れました。記録は会員記録を見てください。
 この後直ぐそばの露天風呂に走ったままのパンツで入りました。すぐ温泉に入れるのは良いですよ。 6時半からパーティーが有り入賞者の表彰がありました。この大会は年齢別の表彰は無く35歳から 1歳毎に1分のハンデがもらえるハンデキャップ表彰がありました。私は25分のハンデを貰ったのですが 厳しいですね18位でした。60歳以上では2位(6人しかおりませんが)でした。
 20回記念でしたので抽選会の商品が沢山あり町長賞が大島の土地495uでした。若い女性があたり 大島に移り住むと言っていましたので、町長が大喜びしてました。くさや・ビールもあり、私は還暦賞の 明日葉セットをいただきました。
 日曜日は雨で観光が出来なく残念でした。来年も参加して、観光をしようと思います?。
以上

日本山岳耐久レース(24時間以内)〜長谷川恒男CUP
2007年10月20・21日
参加者:野田 朋芳
 この大会が開催された頃に出てみたいなと思ったのですが、とても完走が無理とあきらめていました。 が、何の因果か法事部長がこの大会に出たいが休みが取れないと、鬼さんは参加したことがあるとで 今年参加してみようとなり、ぎりぎりで申し込みました。この大会の厳しい条件をクリアーするために いろいろ情報を集め参加条件の装備(ヘッドランプ・水2リットル・雨具・行動食・防寒具)のため ヘッドランプ・ハイドレーション・トレイルシューズを揃えました。 事前に2週間ほど前に御岳・大岳山・日の出山の試走もしました。これでその日の天候によりますが 完走できるかなとわくわくでした。前日は行動食をどのくらい用意するか、とにかくカーボショッツ5個・ ソイジョイ3個・スニッカー2個・ウィダー1個と当日おにぎり(鬼さんが2個ともちといっていたので )3個ともちを用意しました。当日鬼さんの車で現地に行くとぞろぞろとリックをしょった御仁が会場に 連なっていました。受付をしてスタート時のウエアーはロングタイツで長袖シャツで替えのシャツと 防寒用の上着をリックに入れました。これでいよいよスタート(13時)です。完走タイムは私は暗い内にゴールを と思っていましたが、鬼さんに聞くと月夜見Pで12時頃になるとのことでしたので17時間近くになるかなと 予想しました。いよいよ2300人が自己申告タイム順に並んでスタートです、皆さん活き良いスタート していきます。鬼さんも私より先に行きました。これはチョット早いなとマイペースで皆さんに着いていきます。 登山道に入ると多くの選手で走れません、ここはとにかく並んでいくと少しづつバラけて来たので何人かを 抜くと入山峠(7KM地点)の手前で鬼さんを抜いてしまいました。最近私は5Kmぐらいを過ぎると調子 よくなります。第1関門(浅間峠22.6Km)はできれば少しでも明るいうちにと思って走っているのですが 登ったり、下ったりの連続で、時間が過ぎるが距離が平地のように伸びません。何とか第1関門に4時間12分 でたどり着きました。ここで夕食のおにぎり・もち各1個を食べトイレによって再度ヘッドランプを 点けてスタートです。まだまだ先が長いです。若い女性も私を抜いていきます。年ですからマイペースで 再度登り・下りです。走りながら(登りの時)ジェルを取り、水分は2リッター背負っているのですが 月夜見の第2関門(42Km)までもたせなければならないので少しづつとりました。汗かきなのでウエアーは びっしょりでしたが寒くはなかったです。でもやはりもう少し水分を取りたいのですが辛抱です。 笹尾根はあまり起伏は有りませんので登り以外は走れました。西原峠で第2関門まで10Kmとのことでしたが 特に三頭山を過ぎてからはなかなか月夜見に近づかないのです。ガスが出てきてヘッドライトでは2mも 届きません、足元の凹凸がわからなく危ないです、でも追い抜いていく選手はヘッドランプ以外に手に別の ライトを持って走っているのでこの選手が近づくと足元がはっきりします。さすが経験者は用意が万全です。 何とか第2関門の月夜見に8時間49分で到着です。水は少し残っていましたが1.5リットルの補給を受け おにぎり・もちの食事をして休むと寒いのでスタートです。ウエアーは体温で乾きました。ここから急な下りで 奥多摩湖からの風でガスが出て前が見えない状態です。前後には誰もいない状態でヘッドランプが頼りですが、 足元が不安定ですしコースの目印が見えない中、尾根筋を走りました。この先でチョット走っていると下のほうに 目印の赤いランプが見えコースミスする所でした。ここからお小河内峠越え御前山に向かうのですが 丁度追い抜く方がいたのでこの人に付きました。このほうが安心なので、でも尾根では風が冷たいのです 我慢してついていきます。下りになると置いていかれます。金曜日の雨で滑るのです。慎重に脚を運ぶのですが 転んでしまいました。危なかったです。5・6回転びましたが2回はまともに転びました。 第2関門から軍手をしていたので木・岩につかまりながらの上り下りです。御前山は風が冷たかったので チョット休んで再び下りです。大ダワがもう直ぐのはずと思っているのですが登ったり・下ったりで ちかずかないのです。この辺には何回も登山に来ているのでこんなはずはと思うのですが、 ようやくきつい下りがあって大ダワに付きました。ここで休憩しようかなと思ったのですが、 このままのペースでいけば完走14時間台もあるかもと計算してしまい。スタートです。 大岳山の上りはきつかったです岩々でした。頂上で再度おにぎりを食べているとテントの中でスタッフが 無線で滑落があったと連絡していました。このときに事故を知ったのでした。ガスの中1歩踏み外すと 転落ですので、私も身長に再スタートです。この先は日の出山まで試走しているので調子よく 走れました。登山道の両側のあちこちに寝ているのか休んでいるのか判りませんが選手が丸まって 転がっていました。私は全然眠くなかったです。日の出山に着くと東京の夜景が最高でした。金曜の雨で すっきりでこんな機会がなければこの夜景は見れないでしょう。日の出を過ぎると長い金毘羅尾根です。 11Kmあります。ここは結構走れましたが近づきません。時間を考えると14時間は無理な状況です。 水もなくなり早く五日市の灯が見えないかなと思うのですが、ようやくスタッフのいるところにたどり着くと ラスト5Kmですといいます、まだ5Km有るのかと、でも走りました。以外と走れるのです、下りの 太ももの張りが思ったよりないのです。試走がいきているのかもと思いながら最後の下りです。 さすがこのコンクリート舗装の下りは歩いてしまいました。道路に出てラストゴールに向け 走ってゴールです。やった15時間9分でした。私もこの距離を走れるということは100Kmも? いやいや無理かな!!。ということで楽しかったです。
以上

2007ビホロ100kmデュアスロン完走記
2007年 8月26日
参加者:田中 敬二郎
 皆さんの佐渡に先駆けて私も 8月26日ビホロ100kmデュアスロンに参加してきました。 結果は総合16位 年代別2位。 第1ラン 40:44 36位 バイク 2:27:59 9位 第2ラン 0:44:52 40位 総合タイム 3:53:35 正直、かなり悔いが残るレースでした。 でわ。少しレースレポート
 第1ランスタート
先頭が速い!てか速すぎる! どんどん、2位以下を引き離す。 ゴール後に話をしたら、自衛隊の方で富士登山駅伝の選手だそうです。 しかし、ピュアランナーってのはすごい、尊敬する。 まっ自分は自分と決めてキロ4分ペースを守り終了。
 バイク
最初の10kmで20人程抜いたけど、15km地点で、左脹脛が攣る。 かなりの上り坂のため片足では登れず、降りてストレッチ。 また登り始めて今度は右足がすぐ攣る。またしても降りてストレッチ。 そして、今度はパスされた10人を抜き返したところで両足が攣る。
・・・なにこれは??? 少しいってさらに25km地点で、左脹脛が激しく痙攣を起こし始める・・・ 痛いなんてもんじゃない、、、3分ほど停止を余儀なくされる。
ここでふと気づく。。 これって実はただ事じゃない? 棄権したほうがいいんじゃないか? 「次は足じゃなくて、心臓とか痙攣し始めたりしないだろうな〜(苦笑)」などと考え始め、流して走る。 無風状態で28kmぐらい・・もうサイクリング以下。 そのまま10分程走ってペダルに力を込めると、またしても左脹脛が攣る。 「ていうか!こんなのもう、完全リタイアって状態じゃね〜の?」 6連覇中の女子のTOP選手はともかく、明らかにバイクが不得意なランナータイプな選手にもバシバシ抜かれる、 これじゃとても50kmからの山岳区間を乗り越えられないと判断して 「よし!40km地点の補給所で降りよう」と決意し補給時までの残り10kmを走る。。
それから10分ほど足がピクピクした状態で走り続けていたけど、なんとなくダンシングしてみる。。 「あれ!?」脹脛の引きつりが無くなる・・・何度か試すと・・・ふむふむ・・・理解した。。 どうやらDHポジションとシッティングで走ると攣るようだ。 であれば、攣りそうになるまでDHポジションで走り、攣ってきたらダンシング。。 (つまりは休まず走れってこと?笑) 非常に疲れるがリタイアしようとしていた矢先に解決策が見つかり、猛烈にやる気がでる。
今回の目標は総合3位以内とバイクラップ1位を取ること。 もうラップは取れないし、総合にも絡めないのは承知していたけど、 残り40km。 とにかく前に50人ぐらいいる選手を全部抜くつもりで走り始める。 ここからがホントに全力!!! 今回からコース変更となった厳しい山岳区間でもがいている選手を片っ端から抜く。 残り15人ぐらいまでいったところでバイク終了。
 第二ラン
相変わらず、バイクのあとのランは走れない・・・ 3km地点でダンシングで酷使した四頭筋が攣る。しかしもう攣るぐらいじゃ止まれない 「いてぇx2」とかいいながら走る。5人に抜かれて、1人ぬいてゴール。 辛くはなかったけど、とにかく悔しかった。
表彰後、少し後ろの方の順位の方達に 「バイク、すごい勢いで抜いていったね」 「何度も止まっていたけどメカトラ?」 と声をかけられ、なんとなくその言葉で救われたような気がした。
最後に帰りの飛行機でめったに飲まないビールを飲んでしまい、 起きたらみんな降りた後で、乗務員に起こされるという失態を演じてしまいました・・ 今回は最後まで失敗 笑
以上

2007大井川港トライアスロン大会完走記
2007年 7月21日
参加者:若生 士郎
 大井川港トライアスロン参加しました。正式なタイムはわかりませんが、スイムは0:41くらい、バイクは1:30くらい、ランは1:15くらいで総合3:30くらいでした。雨降ったので透明度はダメでしたが日産の横須賀よりは良かったです。ラン2周の最初の1周目は練習不足によるスタミナ切れと空腹で走り続けることできず何度も歩いてしまい大きくタイムロス。2周目入る前におにぎり1つ食べてから少し回復して走れるようになって何とか完走しました。やはりバイクで長い距離走ってラン走るという練習していないとダメだなあと改めて感じました。あと補給食大事ですねえやはり。あとでいいやなんて思って走り始めたら全然力出ませんでした。完走後、バナナやらスイカやらパンやら食べました。朝、会場行く時から競技終わって駅行くまでずーっと雨降られて水もしたたるいい男(いい加減男?)でした。最悪。天気良ければもっと楽しめたのに残念。ずっと雨だったのに少し焼けました。これはちょっとびっくりな発見でした。

2007宮古島トライアスロン完走記
2007年 4月22日
参加者:傍士 卓朗
 石垣参加の皆さんお疲れさまでした。皆さん楽しそうですね。私はさんざんでした。 金、土が晴れで大会当日が曇りでこれはいけるぞと思っていたが・・スイムは1時間9分昨年より11分はやい、よし。 バイクは風は強いがランの為にそれなりに走る、しかしタイムは昨年とあまり変わらない、よし。 さあ問題のラン、曇っていて昨年よりいけるぞと思いきや、やはり10キロぐらいからやる気がでない、何でだよ、 もう走る気がしねぇで!ラン、ウーキングのインターバル状態、なさけない。5時間58分もかかった。昨年より歩いた。 冬のマラソン速くはないけど、トラのランとのこの差もう少しなんとかなりませんかね。 だれかおすえて!宮古島大会はリアルタイムでゴールシーンをインターネットで写していますが、 家族に7時50分に必ずゴールするから正座して父が一生懸命やってる姿を見なさいと、言い残してありましたが、 7時30分から見てたそうですが、あまりにもゴールしないので倒れたかもしれないと、心配して宮古に電話したそうです。結局ゴールしたのは8時44分でした。患者さんも何人か見ていて、今日の仕事はさんざんでした。 努力、精進します。来年はもう少し長く休みを取り海をもぐるやつ、なんだっけ、 なんとかダイビングでもしてゆっくりしようかなと思っています。
I am sure to go to Miyako next year.Thank you for supporting me.See you again.バイ、バイ

ビホロ100kmデュアスロン完走記
2006年 7月30日
参加者:田中 敬二郎
北海道でビホロ100kmデュアスロンに出場してきました。(まだスイムが全然なので、笑) 参加者292名 距離は第1ラン11.2km、バイク83.2km、第2ラン5.6km タイム:45分20秒→2時間20分→24分26秒で 総合9位でした。しかし年代別では4位だったのでカニを2杯と色々貰いました。各パート:79位→3位→40位、 ランLSDばかりでレースペースに対応できなかったことが大きな反省点。レースは、ランで峠より下って、 バイクはひたすらアップダウンをこえ、最後は市街地を走って競技場っといった感じで。 特にバイクはロードレースのように登って下ってを繰り返しますそれに加えて強風のため、 一部平坦で時速18km程度までおちて踏み続けるような区間があり、私の目の前でも、少し前にいた人が、 風に煽られて畑につっこんでいきました。(後輪ディスク)しかし私が抜いたぐらいにはすぐに走り始めて、 とても勇者な人でした。 そして最後のラン、沿道の観客がパンフレットをもってて名前がばれているので「東京都の田中さんがんばって」 「遠いところからご苦労様です」とか言われてしまうと、歩くに歩けなかったです 笑。 今回2回目のデュアスロンでしたがレースをしてみてボランティアの方々に凄い支えられているんだということが 良く分かりました。ですので、私も今後はできるだけボランティアに参加したいと思っています。 (ただ9月より夜間土日を利用した大学院に通う為、現実的には???)。 以上たくさん書かせて頂きましたがこれからが今年の夏本番です皆さん体には十分気をつけて頑張って行きましょう。 あと私はその頃雲取山を登山中だと思いますので参加できませんが6日の合宿も楽しんで来て下さい。


宮城国際トライアスロン七ヶ浜大会完走記
2006年 7月2日
参加者:宗田 恵世子
宮城国際トライアスロン七ヶ浜大会。東北トライアスロンサーキット戦、東北学生トライアスロン選手権、 宮城県トライアスロン選手権、としているので大学のトライアスロン部がいっぱいでわかーいです。 海は学生が行ったのを見届けてゆっくりと出発。防波堤を出るあたりはなーみがちゃぷちゃぷでぷかぷかしてました。 トランジッションでは万が一雨が上がったらとバイクにかけておいたカバーを取り必死にたたんでカゴの中にしまい込み バイクは3周回コース雨ざーざー、風もすこし出て学生が飛ばすので左キープしながら水たまり、 マンホールの上をアップダウン繰り返し、ランは住宅内の細い道の急坂の繰り返しが結構あり ゴール後は寒くてがたがた震えそのまま12時までバイク搬出ができずとまあ始めての経験がいっぱいでした。 女性最高齢者でしたのでタイムは悪くても年齢別では優勝というのが又すごいです。 仙台に寄って牛タン食べて帰ってきました。


2006宮古島トライアスロン完走記
2006年 4月23日
参加者:傍士 卓朗
優勝した韓国のパクに5時間8分20秒の差をつけられ惜しくも優勝をのがしてしまいました。 当日は、ホテルを出る頃から雷と大雨で会場に着いた時は皆東急リゾート一階で待機していました。 今日はデュアスロンかなとの声もちらほら、スタート時は昨年と同様急に雨がやみましたが、 海が少し荒れてて、波が高く、最初は泳いでいても前に進んでいるのか、止まっているのか、 変な泳ぎ(たまには波の練習でもしたほうがいい、大塚先生よろしくお願いします)バイクは曇りですずしく、 快適な走りで佐渡より距離が短く今日のランは絶対いけるぞ!と思いきや、ランの時から急に暑くなり、 なんなんだよこのムワーとした暑さは話が違うじゃないか(鬼塚・あつくないあつくない(Wあつくない) 宗田・佐渡の様ないやな暑さはない)暑くて水をかぶっている人もちらほら、一度きれるとダメ、 もう12〜3キロぐらいからウォーキング+ランのインターバル状態また俺のいつものパターンか、 くそー!俺はそだちがいいからなー粘り強さがないんだろう。
30キロ付近で後ろから来た年配の方に歩いていたら完走できないかもしれませんよと声をかけられその後はなんとか走り続けました。 ランに5時間42分も掛かってしまいました。リサは笑顔でフィニッシュ、 俺はもううんざり顔でフィニシュ。今回は完走率が悪く、200人ぐらいリタイアしたそうです(少し言い訳)
「宮古雑記」
  1、JALのスチュワーデスはたいしたことない、JTOのスチュワーデスは背が高く美人、一人超美人がいた、結婚してるのかなぁ男がうらやましい。
  2、沖縄の人は早口で何を言ってるのかわからない、英語ならわかるんだが。
  3、置き袋三つもひっさげてあっちいったり、こっちいたり自転車運んだり取りに行ったり、めんどくさい。
  4、野田さん、則井さんと伊藤さんにあいました、高橋豊さん水上さんにあいました、ご夫婦で着てたみたいです。
  5、パワーバーの宣伝に来てたみたいですが、宮塚先生にもお会いしましたセミナーのお礼と少しお話をさせていただきました。
  6、結論、すずしい時いくらランの練習しても関係ない五右衛門ぶろでも入ったほうがいい。
 以上です。
追記、そのほかに則井さんとは最初前夜祭でお会いしましたが、 大会当日のバイクで60〜70キロ付近で前を走っていた則井さんを”さぁ、頑張りましょう”と言いながらさっそうと、 かっこよく追い抜いていきましたが、ランで私がコースの横の歩道を歩いていたら則井さんがさっそうと私を追い抜いていきました。 則井さんは気がついてないみたいですが。たぶんタイムをみたら笑うでしょう。はずかしいやら、なさけないやら。



いぜな88トライアスロン完走記
2003年 9月28日
参加者:三浦 憲司
遅めの夏休みを取り、沖縄伊是名島で9/28に開催された伊是名88(Swim2+Bike66+Run20)に参加してきました。沖縄と言えば、ショートの石垣、ロングの宮古が有名ですが、今年で16回目を数えるミドルの伊是名も有名で、沖縄ならではの暑い、熱い、濃い大会でした。伊是名島は、那覇からバスとタクシーを乗り継いで運天港まで2時間半、そこからフェリーで1時間の処にありますが、船は1日2便しかありません。船が港に着くと、島の子供達がエイサーでお出迎え。前夜祭、後夜祭は郷土料理に飲み放題、おまけに沖縄の有名バンドを招いてのコンサートありとメニューは盛り沢山。沖縄各地(+米軍キャンプ)のトライアスロンチームが集結し、民宿は殆ど体育会の合宿状態。後夜祭の後も、民宿中庭に三々五々人が集まり、泡盛パーティーとなりました。島を発つ日には、別れの紙テープが舞い、子供達が海に飛び込んで手を振ってくれるなど、まるで映画の1シーンのようでした。肝心のレースですが、Swimは好調、Bikeはまあまあ、Runは厳しい坂道と暑さにやられ途中から歩いてしまい、結果は散々でした。それでも、珊瑚礁の海を熱帯魚に囲まれて泳ぎ、琉球松に囲まれた箱庭のような景色の中を海風に向い、声援を背に古い家並みを駆け(歩き?)抜け、伊是名の大自然を満喫しました。沖縄に行くと、元気を貰える気がします。以上、完走記というより、旅行記でした。



秋田100Kmチャレンジマラソン完走記
2003年 9月28日
参加者:鬼塚 三男
 9月28日秋田 角館ー鷹巣100キロチャレンジマラソンに参加してきました。
曇り気温13度、朝5時薄暗い武家屋敷の町並みを走り出す、前半の40キロ位まで上りである9回参加してるためコースは知り尽くしている、37キロから最大の難所である大覚の峠越え、小木の坂を思い出す、年々この坂がきつくなる三分の一位は歩いている、峠を越えると50キロまで、ひたすら下る、50キロ地点で5時間(10時)キロ6分ペース、11時に50キロの部がここからスタートのためみんな応援してくれる、この大会はエイドステーションがいい飲み物、食べ物の種類が多い又、沿道の応援もすばらしい(秋田美人)60キロを過ぎるとだんだん足が重たくなる、5キロごとのエイドが楽しみで走る、地元の人と話し、いぶりがっこを食べまた走る、何とか85キロまで来た雲行きが・・雨だ、はんぱじゃない少し寒い走れば暖かくなると思ったが、寒くなるばかり沿道の人がゴミ袋を用意してくれる、90キロ過ぎた雨もやみ、後4キロ鷹巣の町が見えてきた3,2,1,鷹巣商店街に入る、「東京から参加の鬼塚さんただいま商店街に入りましたお疲れ様でした最後まで頑張ってください」と女子学生のアナウンス、脚の痛みも忘れ両手を振りながらゴールに向かう、大太鼓が迎えてくれる、ばちを借り太鼓を打ってゴール11時間のドラマが幕を閉じた、皆さんも一度参加されてはいかがですか、ウルトラマラソンって本当に楽しいですよ。



館山若潮マラソン大会完走記
2003年 1月26日
参加者:岸田美都秋・純子ご夫妻
 館山マラソンに参加してきました。
 前日は、館山港近くの民宿に宿泊、夕食後に民宿の主人の送迎で前夜祭に参加、マ ラソンランナーの深尾真美さんの
トークと地元の黒潮太鼓を聞き会場で用意された卵 ぐらい大きくて甘いイチゴをたくさん食べて明日の活力になりました。
残念ながら抽 選会では、たくさん賞品があったのですが、何一つあたりませんでした。
 マラソン当日、宿でランナー達と朝食をいただき、車で10分程の大会会場へ
(民宿やまもと は、一泊二食で6500円。食事、サービス、値段は満足でした。)
 マラソンスタート10時 晴れ 気温8度 と最高のコンディション
 私は年齢枠で最後尾からのスタート、5kmぐらいまでランナー集団で走りにくく、 歩道を走ったりしていましたが、昨年の大会で前半エネルギーの使いすぎで30kmか ら歩いてしまった失敗もあり、早く前に行きたい気持ちを抑えて走り、10km地点の 州崎灯台、ここは、館山の先端にあり、太平洋と館山港の境に立っています。ここを 過ぎると右に太平洋をながめながら房総フラワーライン、歩道には毎年マラソン大会 に咲くようにと、地元の人々が植えた菜の花が満開で気持ちの良い約7kmの直線コー ス。ついスピードを上げたくなるが、ここは我慢。15km〜中間地点(1時間44 分)目標タイム3時間35分だと、まずまずのペース。最初の5kmロスタイムは、な んとか挽回できたようだ。23km地点から太平洋から分かれ、農村地域へ。ここで は、おじいちゃん・おばあちゃん達が道端で応援。ハイタッチではなく、ロータッチ で声援に応えながら、アップダウンのある道をひた走り、急な上り坂のある30km地 点へ。前夜祭時に深尾さんのお話で30kmの登りを、このコースの中間点と思って走 らないとこの登りはキツイと言っていた。その気持ちで最初から走っていたので辛く なく登れました。
 さあ、残り10kmちょっと山を下り終わると、前半走った館山港が見えてきて、今 年は去年と違って体力がまだ残っている。あとは、8・7・6kmと数を減らしながら 走れば、良い記録が出せると思い走り続けたが、やはり37.8kmで体が重くなって きた。
 しかし、残りわずかだ。あとは気力で腕を一生懸命振ってゴールに向かって走って いると、沿道の人々のラスト1キロメートルの声がかかってくると、目の前にゴール 地点の旗や、横断幕が華やかに見えて、無事にゴールできました。やはり純子さんは 私に抜かれることなく先にゴールしてドリンクを飲んでいました。
 純子さんは、中間地点 1時間33分とフル3時間10分ペースで走っていたようです が、昨年の私の走りをしてしまい、後半は急にペースダウンしてしまい、反省反省と 言っていました。
 私にとってフルマラソン9回目でやっと自分の走りたいペースで最後まで走れて満 足し、とてもうれしかったので報告いたしました。帰りは、鋸南町の宿で温泉につか り、おいしい海の幸をたくさん食べて大満足の大会旅行でした!!
 今度ぜひ皆さんも参加してください。
   タイム  3時間33分
         3時間27分(純子)   でした。

 記   岸田 美都秋


河口湖マラソン大会完走記
2002年11月24日
参加者:野田・三浦・堺野・宗田
今年の河口湖マラソンは、西湖湖畔にある三浦さんの実家に前日に泊めていただき 参加してきました。
前日の夕方に現地の着いたのですが、あいにくの雨の中での受付となり早々に退散です。
三浦さんの実家の直ぐ近くには、温泉が有り早速入って翌日の天候を心配しながら食事をしました。
私は、河口湖マラソンには13回参加してますが雨に降られたことはないので大丈夫かなと思いつつ睡眠。当日は、雨は降ってはいないのですが寒そうです。 でも、今まで服装はランニングで参加していたので、今回もこれで参加です。
今年のコースは、橋を渡り2週するコースです。 スタートは8時30分です。私は登録してますので前からですが、後でわかったのですが 最後がスタートラインを通過するのに17分かかったようです。 スタートして富士山に向かって走っていると、なんと雨が降ってきました。 今年は、気温が低いうえに雨では、この先どうなるかと思いながら走っていると雨はやみだしたのですが、 でも今年は寒いです。特に腕がです。長袖にすればよかったなと思いつつ走りました。
最近はフルマラソンでは、最初はゆっくり走り後半の落ち込みを少なくするように してます。今回もそのように心がけて走っているのですが寒いのです。 25キロ過ぎから5キロのラップが落ち、これでは3時間半を切るのが無理かと思いあきらめかけたのですが、ラスト5キロで時計を見ると、何とか25分頃にゴール出来そうではないですか。
ここは最後のラストスパートとはいかないですが、何とか頑張って走り23分にゴールできました。
堺野さんには、10キロ手前で抜かれました。宗田さんは。膝が故障中のマラソンでしたが 初参加で、何とか制限時間内に完走して、有森さんのサイン入りの扇子(今年の完走賞)をゲットです。
三浦さんのネットでサブフォーを達成しました。
今年は、曇りで大変寒く富士山も見えなくて、紅葉も早く終わり景色を見ながら走ることが出来ず残念でした。
終わった後、温泉に浸かって体をとにかく暖めて帰って来ました。
野田


宗田さんの美ヶ原ヒルクライム参加記
2002年6月30日
参加者:宗田 恵世子
 前日、試走をしたら、後輪がはずれフレームにはさまり落車。
一緒に走っていた男の子たちに直してもらい、再挑戦。平地と緩やかな坂の時は平気なのに、急坂でぐっと踏み込むと、
またまた、、、、どしーん。
もういやだーと思い、先に帰ってまーすとこつこつバイクシューズをならして下っていくと、今回のリーダーの自転車屋さんに会いなおしてもらって、もう1かい。
ところがまたまた、、、、ひざ小僧は打撲に擦り傷。それでももう1回なおしてくれて、やっと上れたのですが、その坂は、15パーセントとかで、えんえんと続いているのです。
うっそー、、、、、もういいでーすと先に宿に帰り、一人もんもんとしてました。
また、車輪がはずれたらどうしよう。あんな坂ばかり2時間もこげるわけがないリタイヤしよう。あーやだなー。、、、
 当日、まずチャンピョン戦グループ。次に女子ロード、マウンテン、男子16から25・26から30と1700名位が続くのです。
トライアスロンの大会と違って、とにかく、若い人だらけ、、、スタート5秒前,3,2,1,あーあ始まっちゃった
横にそれてリタイヤしよう、、ズルズルと1番後ろに位置し一番端によって、いつでもリタイヤ出来るようにして、やだ、やだ、
と思いながらペダルを踏んでいました。もうやだ、もうやだとおもってもどうすることも出来なくて、苦しくて歩いては、
ゆるやかな所で、また、乗っているうちに、ぱっと開け、山々と雲海が、、、れんげつ つじが咲き乱れ、、、のーんびりと
牛がくさをたべ、、、、か、ん、げ、き、、、やったー やったー  うれしかったー  です。
帰りはゆーくり景色を眺め、その後ブレーキをかけっぱなしで腕ががちがちでした。

宗田 恵世子


吉岡さんの彩の国トライアスロン参加記
2002年5月18日
参加者:吉岡 秀樹
 先週の日曜日渡良瀬での彩の国大会に参加してきました。
Aタイプで、2.25−60−16.4です。
 当日、天気が良かったものの、風がものすごく強く谷中湖はなんと波がものすごかったです。
スイムスタートの5分前にスイムの短縮が発表されスイムが1.5キロになりました。
(数年前の途中で中止になった、日産カップの様でした。)

結果は、29’08”(40)ー2:17’07”(57)ー1:08’17”(19)で69人中45位でした。
悪条件で短縮されたのにもかかわらずスイムは26分24秒であがれ自己新!
でもバイクが風がものすごく1週10キロのコース私には1キロ以外は全部向かい風に思え一生懸命こいでも時速15キロほどしかでないところもあり、ものすごくきつかったです。
でも、バイクラップでトップと35分も離れるのですから、力不足以外の何でもありません。
一月で、ランより走らない状況を変えない限り力はつきませんよね!
ランは、思ったより走れました。午後からは関東選手権のトップアスリートを間近で見ました。
今回、渡良瀬の様な平坦なところでも風一つでいつもと状況が全く変わり、改めて自然を相手にするトライアスロンという競技を、おもしろく思いました。

6月30日は、福島の矢祭の51.5に参加してきます。又、報告します!

 吉岡 秀樹
P.S.渡良瀬の水温23.5度でした。相変わらず水は自分の手もなかなかよく見えな いほどの水質でしたよ!


宗田さんの石垣島トライアスロン完走記
2002年5月18日
参加者:宗田 恵世子
5月18日
 羽田ー那覇間の飛行機が遅れ、乗り継ぐまでの空港内を走り続けたのです。
 その時、、素敵な女性職員が、ヒールをはいたまま、息もきらさず軽快な足取りで、 私達の先頭を走ってくれました。
 一路 石垣へ。 そして、石垣は雨でした。 雨のおかげでゆっくり過ごし、「南風」という居酒屋でカンパーイ。
 食べるーおいしいーおいしいーたべる、、、、、

5月19日
 自転車の組み立て。受け付け。メカチェック。
 競技説明。海で試泳。去年出た二人は「今年の海はあまりきれいじゃないねー」
 私的には十分きれーーーい。
 ワールドの人たちもいて、かっこよく泳いでいました。
 憧れの庭田さんの背中の美しいこと、うっとり。

5月20日
 いよいよレース。 どきどき、、どきどき、、どきどき、、
  この時間帯がなんとも言えないのです。
  見かけどおり、図太くいけばいいのですが、ちゃんと泳げるかなーと不安にから
  れる、唯一のでも、貴重なひとときなのです。
  
  スイム  2周回の海は幅が狭く大混乱。3人とも第一ウェーブ
  1番前に出た方がいいよといわれ、いってはみたものの、周り中、手、足、頭だ
  らけ、そのままみんなのいくのを待って、最後に泳ぎはじめました。
  それでも、泳いでいくうちに、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、あげくに
  ガー−ーン  大きなブイに頭から激突。小さなブイにもやたらこつんこつん、
  ロープにひっかかりながら必死で泳ぎました。
  
  バイク  あーーきもちいいーー
       景色はいいし、応援もいっぱい、適当なアップダウンがなんともいえ
       ないリズムを作ってくれて、気持ちよくすべりおりては登り、登って
       はおり。暑くもなく寒くもなく、1番楽しい時間でした。

  ラン   いちに いちに 調子を整え、沿道の声援に答えながらはしるーはし
       ルー。1キロごとのエイドはうれしかった。
       もう、あと6キロ あっここは宿のそばの道だ  もうすこしだー
       3キロ 2キロ あと1キロのところで 84番のコールが聞こえて
       きた。小室さんゴールしたんだ。私ももう少し   ヤッター
       あーあ 楽しかった  あーあ 終わっちゃった


 ところが、ところが私達のもうひとつの石垣が始まったのです。
まじかに見る選手達のかっこいいこと、肩甲骨周りにしっかりついているあれは筋肉「どうやったらあんなとこに筋肉がつくんだろー」・・・・と今西さん。
「来年は、腹筋に割れ目を付けよう」・・・・と小室さん。
これからのトレーニングメ二ュウに筋トレをいれてもらおう と、もりあがった3人でした。

 そして、男子。チームケンズの選手がでていたので、またまた応援にちからがはいり地元の子の応援の拡声器を借りて、あっちへ走りこっちへ戻り大声での応援が続きました。
シャーーときれいに回るコーナー。目の前を通り過ぎる速さ。最終回で第一集団、と第二集団が一緒になりラン勝負。ここからが、外人勢は強いんですね。あっという間にバラバラ。かっこいいパフォーマンスをみることができて満足満足。

5月21日
 しっかり観光を終えて空港につくころ雨が降り出し、機上のひととなりました。

宗田 恵世子


宮古島トライアスロンぎりぎり完走記♪
2002年4月21日
参加者:小室 奈美
はじめに

 トライアスロンを始めてから早いもので3シーズン目に突入。テレビで放映されて いた、どこかの大会を偶然見たのがきっかけで、何となく、本当にただの思いつきで バイクを購入してみた(いきなり買わないよねぇ、普通) 今まで大した運動歴もな く、社会人になってからは体を動かす事もなかったので、最初の頃は走れない、バイ ク乗れない、ほとんど泳げない、の三重苦?からスタート。  それでもいつかは宮 古島へ・・・、漠然とそう思っていた。
念ずれば実現するモノ、とうとう夢の叶う日がきた。


初めての宮古は不安だらけ

 いつもとは違いこの冬は1回大風邪を引いただけで、自分なりにトレーニングを重 ねてきたつもり(と言っても大したことは何もしなかったけど) なのに宮古入りす る3日前になって熱を出してしまった(この世に神は存在しないのか〜・・・TT)  山のような薬を内服しても回復する兆しが見えてこない。大会前のパーティーも立 ってるのがやっと。一体当日はどうなることやら・・・。
そんなワタシの思いとは裏腹にその日は容赦なくやって来た。


いよいよスイムスタート

 4月21日、午前3時30分起床、4時に朝食。まだ暗い中を市内循環バスに乗り 会場へ。
スイムスタートである東急リゾートには既に大勢の人々が集まっている。
上空には中継用のヘリがバラバラと音を立てて飛んでおり、会場に響きわたるDJの 声や選手達のざわめきが否応なしに大会気分を盛り上げてくれ、体調が悪いことなど 微塵も感じない(変にハイになってる) 昨日寝る前に会場入りした後のシミュレー ションをしたのに、それは何の役にも立たなくて、あっという間にスイムスタートの 時刻になる。DJのカウントダウンと共に号砲が響いた。前浜の真っ白な砂浜からエ メラルドグリーンの海に身を沈め静かに泳ぎ始める。ひんやりとした海水がとても心 地よい。大したバトルにも会うこともなく、最終ブイを回る。後はスイムゴールを目 指すだけ・・・なのだが、くぅうぅ〜、波が高くなかなか先へ進まず、かなりめげる。
しかし焦りは禁物!恐ろしいほどのマイペースを保ちながらスイム終了。
お魚ちゃん 達や珊瑚がきれいで気分はまるで海水浴♪


そしてバイクへ

 更衣テントでゆっくり着替えをしてから、バイクラックまで小走りで向かう。(ち ょっと遠かった)
いよいよ155キロバイクパートの始まりだ!!!ママチャリペースでみんなの後に ついて行く(って言うか抜かれっぱなしぃ〜^^;) 今日はどこまで行けるのだろ うか?快晴の青空とは裏腹に私の気持ちは沈んでいた。やはり体調の悪さはごまかし きれずカラダは鉛のようなのだ。「せっかく宮古まで来たのにこんな事ってないよぉ 〜。くしょ〜〜〜・・・」でも力が入らない、気合いが入らない、意欲が湧かない。
どんよりしてると、なななんとトップ選手とすれ違った。次から次へと有名選手が行 く。カラフルなバイクジャージーの大集団も過ぎて行く。何てカッコいいんだろう! 視界に飛び込んでくる鮮やかな海の青と空の青、真っ赤なハイビスカスや原色ピンク のブーゲンビリア、風に揺れるサトウキビ、淡い薄紫の花をつけたタバコ、ここは紛 れもなく宮古島だ!素晴らしい風景に感動の嵐。しかし気が紛れたのもつかの間、5 0キロ地点を過ぎたあたりでプッつりと何かが切れた。視界も悪くなり、頭も痛い。 味覚もおかしくなっていたのか、補給食として携帯したゼリーも摂れない。「やっぱ りリタイアかな・・・」 実は今日はスイムだけで棄権するつもりでいた。それを 「ここまで来れたんだから上等、上等・・・」そう思った。けれど、弱々しいペダリ ングでも確実に前へと進んでいる(当然だが^^;) せっかく三分の一終わったん だから行けるところまで行こう。何故だか急に前向きな気持ちになり、たどり着くか わからないゴールを目指すことにした。遠のいてしまいそうな意識の中でひたすら足 を回し続け、きつい坂道を登ったり、向かい風と格闘しり、結構大変な道のりだった けれど、 声を嗄らして応援してくださる皆さんからパワーをもらい、何とか午後4 時ちょっと前に無事バイクパートを終了(関門すれすれ〜^^;)


そして42.195キロの始まり

 渾身の力を振り絞りバイクをバイクラックに掛ける。時計は午後4時を指していた。
既に7名のトップ選手がフィニッシュしたことをDJが伝えている。ワタシに残され た時間は5時間30分。戻ってこれるかなぁ? でも何としてもゴールしなければ・・ ・。完走Tシャツが欲しいが為にヨレヨレの足取りで走った(つもり) エイドでの 時間も惜しいので水分補給をした後は、走りながらおにぎりを食べる(胃腸は丈夫ら しい) そして次のエイドを目指しひたすら走るのだが、たかだか2〜3キロの距離 がとんでもなく長く感じられる。沿道の応援と、時々すれ違う復路を走る知った顔に 元気をもらい、何とか折り返す。この時点で約3時間掛かり、日が暮れ始めていた。
ここまで来ると走っている選手の姿もまばらになり何だかなり寂しい。25キロ過ぎ あたりから歩きが入るようになり、気が付くとあたりには人影もなく、自分の足音と 息使いだけが響いている。日はとっくに暮れお月様と無数の星達が瞬き、蛍が飛んで いる。 すっかり夜になっていた。残り少ない選手を応援しようと車のライトで真っ 暗な道を照らしてくれている人、太鼓をたたいてくれる人、一緒になって走ってくれ る人・・・、途切れることのない応援に励まされながら前へ前へと進む。残り14キ ロを過ぎた頃だろうか、遠くで花火が上がっていた。えっ!?花火??ここで初めて 残された時間がほんのわずかなのだと気が付く。回らない頭で考えてみた。90分で 13キロ走るとゴールできるのか??ってことはキロ何分で走ればいいの???急が ないと制限時間内に完走出来なくなることだけは間違いないはず・・・。そう思った らどこからともなく力が湧いてきて、今までの走りが嘘のように軽快な足取りに(ち ょっと大げさかな^^;) その時突然後ろから声がかかる。「あなたに追いつこう と必死に走ったよ。一緒にゴールまでいきましょう!」 道連れができて急に心強く なった。おしゃべりにも花が咲く。市内にはいると応援が更に増え今までの疲れが吹 っ飛んでしまうようだった。後2キロの表示、そして1キロの表示。「ついに帰って きたよ〜・・・!」 もう少しだ。沿道には溢れかえるように人の山が出来ていて、 ゴールの陸上競技場の入り口がわからず、ボランティアの男の子に誘導されてトラッ クに入る。割れんばかりの歓声と大きく響くDJの声。ついにゴールである。やった ぁ♪
14時間目一杯使ったのに、苦しいことばかりだったのに、今日はとんでもなく短く、 そして幸せで楽しい1日だった。
出来るなら来年も出たいにゃぁ^^;(懲りないヤ ツです)


きろく〜♪

何ともダサい記録ですが完走しました^^
ひたすらマイペースを保ち続けた賜??それもあるのでしょうが、 あの素晴らしい応援がなければワタシの完走はあり得ませんでした。
心から感謝しています。応援してくださった皆さん、ホントにありがとう♪

スイム   1: 5:26
バイク   7: 8:52
ラン    5:40:53
トータル  13時間55分11秒


おわりに

 第18回大会は死亡者が出るという悲しい出来事がありました。
例年になく厳しい気象条件だったとは聞きましたが、 自己責任において競技をするとはどういう事なのか、深く考えさせられました。
亡くなった方のご冥福をお祈りいたします。

  ♪ コムロ ナミ ♪


ラン・スイム練習
2002年1月20日
  
 今年最初の練習会でした。今年は志向を凝らしスイムの前にランの練習をしてから スイムの練習をすることにしました。
7時45分にスポーツセンターに8人集合しました(1名集合場所を間違えてラン終 了後に合流)。このメンバーで、空堀川沿いを清瀬の方向へ9時頃に戻れるように軽 く、今年の大会予定などのお話をしながらランニングをしました。この日は天候も良 く、日のあたるところは暖かいのですが、早朝はやはりまだ寒いですね。西武線を過 ぎたあたりで、傍士さんの提案でこの先の金山緑地公園まで距離を伸ばし、折り返し て後半は、鬼塚さんのラストスパートにはついて行けずの13Kmのラン練習でした。
 この後、直ぐに市民プールでのスイム練習を行いましたが、ランの後でしたので体 がほぐれていたのでスイムが軽く、国分さんから各メンバーにアドバイスをしていた だきました。休憩後ビート板を使っての練習で、私はキックのみでは前に進まないの です。国分さんから足先のみのキックで、太ももが使われていないと指摘され、直し てやるとなんと進むようになりました。これで、今年のスイムのタイムが少し短縮で きそうです。 今回の練習会は、結構有意義な練習会になりました。


太平洋・夢街道トライアスロン大会
2001年8月5日
参加者:吉岡 秀樹
 8月5日に福島県の太平洋・夢街道トライアスロン大会に行って来ました。 今大会は、全国でも珍しい波打ち際のスイムコース・スピード感溢れる高速バイ クコース・アップダウンのクロスカントリーランコースというふれこみで、 オリンピック代表の庭田選手もきていました。 実際のところ、コースもその通りで、おもしろいコースでした。(バイクコース だけは、予想以上にアップダウンがあり参りました。) 結果は、196人中・115位(2時間45分21秒・<36分58秒ー1時間 24分31秒ー43分52秒>)と、散々たるものでした。 波がすごくて、ゴーグルが波にうたれとれてしまったり、最初のスイムで全然泳 げなかったことが尾を引いてしまいました。 あと、7月19日にひどい足首の捻挫をしてしまったので、出場できただけでも 、よしとしなければと思っています。 暑いのと、捻挫のあとで、あまり練習できてませんが、波崎のミドルに申し込み ました。


バイク練習会の報告
2001年8月5日
参加者:野田・松澤・岸田・岸田さんの友人・宗田さん
 荒川サイクリングコースを使って100Kmのバイク練習をしました。7時に 秋ヶ瀬公園北口駐車場に7時に集合して野田・松澤・岸田・岸田さんの友人・宗田さんの 5名で行いました。コースは、荒川サイクリングコースを北上し太郎右衛門橋から 鳩山町の物見山に向かいました。今回は、上りを経験するのも目的で、このコースを 選びました。宗田さんは、佐渡のミドルに初挑戦ですので、あの佐渡の起伏コースに なれるようにとのことで。
物見山の登りは、皆さんクリアして休憩後周回コースに挑戦したのですがコースを 間違え出来ませんでした。残念、次回に挑戦です。 この後、荒川サイクリングコースに戻りいつものコースの終点まで、行って戻りました。 走行距離は105Kmでした。
岸田さんは、珠洲に前田さんと挑戦です。良いバイク練習になったようですね。 松澤さんは、一般道が初挑戦で、帰りには前輪がバーストしてパンクといろいろ 経験しました。私は、最後は疲れました。でも夕方航空公園で10Kmランを行いました。


VINEMAN トライアスロン
2001年7月8日
参加者:浦和の佐藤さん
7月8日アメリカ サンフランシスコ近郊で開催された「VINEMAN トライ アスロン」に参加してきました。http://www.vineman.com/
2年前にアイアンマンカナダに参加し、海外レースの楽しさを実感しまし た。今回はとにかく安く海外レースに出ようと思い、航空券が安い時期に開 催されできるだけ長い距離のレースを探したところ、サンフランシスコから 車で40分ぐらいの所で開催されるハーフアイアインマンでIRONMAN の QUALIFYレースをみつけました。
日程は金曜の夜成田を発ち、月曜の昼現地を発つ現地3泊。今回、初の一人 での海外旅行、大会の要項やレース案内はもちろん英語半分程度の理解でし たので不安いっぱいでした。
現地は7月というのに肌寒く、たぶん18℃程度、長袖のセーターがほしくな るぐらいところがレース前日のレジストレーションにおいて見た張り紙に 「NO WET SUITS」があり、「どういう意味??」と思いながら近くに居た 人に. We can not use wetsuiets tomorrow?と聞くと Yes!! It's interestingと笑いながら答えてくれました。interesting か・・。確かに昼頃になると日差しがきつくカラッとした暑さは感じました が、WETスーツ なしは経験がなくまたまた不安になりました。ちなみに スイムはロシアンリバーという川で水も冷たそう。
このレースにはDave Scot,Mike Pigg,Camelon Widffなど人気選手がでて ました。
レース当日、やっぱり寒くモーテルから会場までのクルマで思わずヒーター を入れました。「ほんまにこんな気温でWETなし??」という気温です。 WET禁止とは知りながらもクルマにWETを積みました。現地について Bikeでトランジッションまでいくだけでも長袖トレーナーを着てても寒く (ちなみに私は非常に暑がりですが)約2K泳げるかなーという不安だらけ の状態となりました。
泳いで見ると意外と冷たくなく少し安心。結局初のWETなしでのSWIM もなんとか終え、BIKEへ。BIKEでは知ってはいたもののみんな速 く、それも自分より年配の人にどんどん抜かれました。(ふくらはぎに年齢 を書いているのでわかります)それとびっくりしたのが20人に1人ぐらい の割合で「上半身裸」で乗ってます。めちゃくちゃ自由な感じでアメリカ的。
コースはほとんどがブドウ畑(VINEとはぶどうの木のこと)なかを走り ます。ここはカリフォルニアワインで有名なSONOMAバレー。BIKEでは たぶん200人ぐらいには抜かれたでしょうか・・。RUNのトランジッ ションではほとんどのBIKEがありました。Runでは裸で走る人が増 え、自分も裸で走りたい気持ちになりました。
コースではいたる所で、恋人や息子、娘、親を応援する人が一緒に走ったり 自転車で話しながら伴走したり、日本のレースでやったら絶対失格でしょ う。しかし、これがトライアスロンの楽しさ、自分のようなエンジョイ派は こういうレースが理想です。
<今回のレース>
1.使ったお金 合計13万円ぐらい
  ・航空券:¥69000、
  ・宿泊費:¥約23000、
  ・レンタカー:¥15000、
  ・出場料:¥15000

2.感じたこと
・レースの参加には自己の責任において参加することをサインを一つするだ け。日本のように医者の診断書や、家族の同意サインなど、他レースでの 実績などは必要なし。非常に簡単合理的です。
・アメリカの協会費(JTUのような)は必要ですが1日会員という制度が ありレース前日$8を払いました。こういう制度をJTUもとりいれてほ しい。
・WETなしSWIMは、ハワイに出れそうにもない私にとってなんか”本 来の”トライアスロンという気がしたし、いつもより気合が入り満足感が ありました。日本のレースでも暑いときはWETなしで出ようかと思います。
・アメリカの大会は トライアスロン本来の明るさ、楽しさが実感できます。 (国民性の違いはありますが・・)日本の大会は細かい規則が多いように 思います。高校あたりの校則を思い出すような・・それと性悪説で出場者を 扱っているような気がします。伴走禁止なんかはケースバーケースですが、 エージグループでは子供や嫁さんと一緒にゴールする楽しさをなくす原因に なっているように思います。(実はこの伴走禁止には個人的にいやな思い出 があります。8年ぐらい前、トライアスロンをはじめたころ、蒲郡の大会で 従弟が私のRUNを走りながら100mほどビデオでとってくれたのですが、 それがなんと伴走と判断され私は失格となりました。ちなみに51.5Kの レースで私のゴールタイムは2時間53分で完走目的でした)またお金と有 給休暇がとれれば今度は家族と一緒に行きたいレースです。

埼玉 浦和の佐藤